きょう1月26日は「オーストラリアの日」だデー。
1788年のこの日、初めての移民団がポート・ジャクソン湾に上陸して、いまのオーストラリアが始まったとかで。
ということで今回は、1970年代の日本に住んでいたオーストラリア人から聞いた話を書いていこうか。
70年代の日本はアジアの中では最も西洋文化のある国で、街中には英語の看板が多かったし、西洋料理のレストランもたくさんあった。
そのころの欧米人は日本についてはもう戦争のイメージはなくなっていて、西側世界の友人やパートナーとして見ていた。
でも、日本にある西洋文化はうわべだけ。
人びとの価値観や考え方は基本的にそれまでと同じだったから、ヨーロッパ人やアメリカ人が日本人と接してみると、常識や当たり前のやり方が通じなくて驚くことも多かった。
たとえば欧米人の間で「沈黙」は賛成や同意を意味するのに、日本人の沈黙は不満や不平を表す。
だから仕事を順調に進めていると思っていたらある日突然、「やっぱりこれは見直そう」と言われることが何度もあって腹が立った。
「だったらもっと早く言ってほしかった!」と抗議すると、「あなたたちがもっと早く気付くべきだった」と言い返される。
こういうやり方には納得できないけど、日本で日本人を相手にするならそれが正解。
日本人は自分の気持ちや考えを言葉ではなくて、表情や態度でかすかに表すから、私たちにはとても分かりにくい。英語をよく話す日本人も、中身はやっぱり同じ。
社会的には欧米化が進んでいても、頭の中はまったく違って昔の日本人のまま。
1972年に留学生として日本へやって来たとき、外国人にとって日本人はあまりに異質だったから、「地球上には150の国があるけど、日本だけは宇宙から落ちてきた」とよく話していた。
でも日本人からしたら、外国人こそエイリアンだったと思う。
日本では東北が好きだった。
オーストラリアでの生活にはゆとりがあって、とてもリラックスできたのに、自分が住んでいた東京は人が多すぎて、いつもすごいストレスを感じていた。
オーストラリアには白人・黒人・アジア人・先住民(アボリジナル)もいて、街ではいろんな色の目や髪、肌の人を見ることができる。でも日本は首都でも、同じ色の肌・髪・目を持つ人ばかり。
東京では同じ服を着た人たちがみんな忙しそうに早足で歩いているし、通勤電車では考えられないほどの乗客がいて、移動するだけですごく疲れる。
だから、東北の自然や田舎に行くと生き返る気がした。
特に山形は緑が豊かでのんびりしていて、散歩をしていると「こんにちは」とあいさつしてくれる人もよくいて、フレンドリーな雰囲気があった。
山形は日本の中でも西洋化は進んでいなかったけど、精神的に疲れてダメになりそうな東京と違って、オーストラリアの良い部分が山形にはあったと思う。
70年代は東京でも、外国人は少なくてレアな存在だった。
だから、自分みたいな大きな白人がそこらの店にヒョイと入ると、店の人が目を丸くしたままフリーズして、「英語は分からない」と言ったり、シッシッと動物を追い払うように手を振ったりして、店から出て行くよう促されることもよくあった。
でもカタコトの日本語を話すと、態度が急に変わってやさしくなることも多い。
いまの東京は英語を話す人が増えたし、どの店も笑顔で迎えてくれる。
そうなると、「犬扱い」されてムカついていたころが今となってはなつかしい。
そのころの痛勤、いや通勤電車のようす。
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外国人(アメリカ人とヨーロッパ人)との会話がで盛り上がる話題
> ポート・ジャクソン湾に上陸して、いまのオーストラリアが始まったとかで。
> ということで今回は、1970年代の日本に住んでいたオーストリア人から聞いた話を書いていこうか。
えええ? オーストラリアの話をするのに、オーストリア人に話を聞くことから始めるのですか?
でもまあ、現地の人々でも「よく間違われる」と言ってましたから、日本人が間違えるのも無理はないです。
ちなみに、オーストリアの観光案内所(?)には、「カンガルーはいません」という看板があるとか。
あ、もう1点の指摘を忘れてました。この記事のタイトルもヘンです。
> オーストリア人が見た1970年代の日本 地獄の東京・異質な人
何か、ブログ主さんを混乱させるようなできごとでもあったのですか?
あ、やってしまいました。
ご指摘ありがとうございます。
疲れてるんですね…。
週末はゆっくり休みます…。