インド人とスリランカ人が話す、イギリス植民地支配

 

本日2月4日は「ザ・ビートルズの日」。
イギリスが生んだ時代を超えるスーパースターのジョン、ポール、ジョージ、リンゴは「fabulous(すばらしい)4人」ということで「Fab.4」と呼ばれたことから、「February 4」がビートルズの記念日になったと。

スリランカは1948年2月4日にイギリスから独立したから、この日は独立記念日になっている。
世界の多くの国にあって、日本にはない記念日が独立を祝う日。
それは、日本が異民族に支配されたことがないというメデタイ証拠でもある。

ということで、今回の話は74歳の誕生日を迎えたスリランカとその上にあるインドと、そしてその2国を支配したイギリスについて。
インドについては何度も紹介したから、ここではスリランカの基本を押さえておこう。

面積:6万5,610平方キロメートル(北海道の約0.8倍)
人口:約2,103万人(2016年)
首都:スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
民族:シンハラ人(74.9%)、タミル人(15.3%)、スリランカ・ムーア人(9.3%)
言語:公用語(シンハラ語、タミル語)、連結語(英語)
宗教:仏教徒(70.1%)、ヒンドゥ教徒(12.6%)、イスラム教徒(9.7%)、キリスト教徒(7.6%)

以上の数字は外務省ホームページスリランカ民主社会主義共和国(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)基礎データから。

北海道の人口は約530万人だから、それに比べたらスリランカは人口密度が高くてワチャワチャした国だ。

ヨーロッパの植民地としてのこの国の歴史もわりと目まぐるしい。
1505年にポルトガル人がコロンボに商館を建設して植民地支配が始まり、1658年にはポルトガルに代わってオランダが支配するようになり、1802年にイギリスの植民地となる。
アニメ風にいうなら、「問おう。あなたがわたしのマスターか」ということが3回続いて、1948年2月4日、やっとスリランカ人がスリランカのマスターとなった。

 

 

昨年末、静岡市に住んでるスリランカ人のカップルから、「ランチを食べに来ませんか?」と招待されたんで、3人のインド人を乗せて浜松から車で行くことになった。
インド人が30分遅れても謝らないとか、約束の時間にアパートへ着いたらスリランカ人は外出中だったとか、日本人との感覚の違いを感じつつ、上のようなスリランカ料理を食べることとなる。

目の前にインド人とスリランカ人がいるのなら、歴史好きなボクとしては、イギリスによる植民地支配の話を聞くしかない。

*イギリスは1858年のインド大反乱(インド側では独立戦争)のあとムガル帝国を滅ぼしてから、1947年に独立されるまで、インドを植民地(イギリス領インド)として支配していた。
カーゾン提督がこう言うほど、イギリスにとってインドは特別重要なところだった。

「我々は、インド以外の全ての植民地を失っても生き延びることができるだろう。しかし、インドを失えば、我々の太陽は没するであろう。」

 

インド人もスリランカ人もイギリス支配はについては、「良いところもあったけど、全体的にはヒドくてムゴいものだった」という認識は一致。
インド人はその期間に起きた最悪の出来事として、1919年の「アムリットサルの虐殺」をあげる。
女性や子供を含む一般市民が集まって抗議の声をあげると、イギリス軍が無差別射撃して、多くの人を虐殺した。(死傷者は1500人を超えたといわれている)
イギリスはスリランカではそんな虐殺行為はしなかったらしい。
でも、スリランカ人を差別し、過酷な労働をさせてその利益は自分たちが奪っていた。
そんな話を聞いて「同じだわ~」とうなづくインド人。

スリランカ人がランチにあったチキンを見て、「イギリス人はスリランカ人に、大麻の使用を禁止したんだ」とつぶやく。
え?それっていいことでは?
大麻って、厚労省が「あなたの脳を壊します。」と警告しているあのヤバいやつだよね?
ただ、日本では厳禁されていて、それに手を出したら社会的に抹殺されるような違法薬物も、国や地域によって扱い方はいろいろバラバラで、カナダのように大麻(マリファナ)の所持や使用が認められている国もある。

スリランカでは以前は、肉を柔らかくするために大麻を使うとか(この使用法は初耳)、一般的に広く使われていたから、栽培もフツウに行っていた。でもイギリス人がそれを禁止して以来、いまでも大麻は違法の状態が続いているという。
するとその話を聞いたインド人は、「え、そうなの?イギリスはインドで大麻栽培をめちゃくちゃ奨励してたけど。農民に育てる作物を、大麻へ強制的に変えさせたぐらいに」と驚く。

そう聞いて、ボクの頭に浮かんだのがアヘン戦争の原因となった「三角貿易」。

清 → イギリス(茶)
イギリス → インド(綿織物)
インド → 清(銀、アヘン)

インド人にはアヘンを全力で生産させ、中国人をアヘン漬けにさせて、自分たちはガッポリもうける悪魔のようなシステムをイギリスは構築していた。
インド人の話では、イギリスはインドで大麻もアヘンも栽培していた。
スリランカと違って、イギリスはインドで大麻を禁止にしなかったらしい。
*禁止にしようとする動きがあったことは、インドにおける大麻文化を見てほしい。

なんでイギリスが真逆の対応をしたのかは、スリランカ人もインド人もよく分からない。

「インド人はスリランカ人と違って、気性が荒くて何度も抵抗運動をしたし、大きな独立戦争(インド大反乱)もした。だから大麻やアヘンという娯楽や快楽を認めて、インド人を骨抜きにしたり、不満や怒りのはけ口にする狙いがあったのだろう」

と一人のインド人は推測する。

スリランカでは大麻を禁止したのに、インドでは認める。そんな一見矛盾した対応も、イギリスが自分たちの利益を第一に考えた結果であることは間違いない。
大英帝国時代のイギリスは平気で二重基準や二枚舌を使い、搾取したりだましたりして、オイシイところを持っていった。
植民地からいろいろなものを奪うことで国が成立していたから、「インドを失えば、我々の太陽は没するであろう。」となる。
インドやスリランカでは学校や病院をつくって良いこともしたけれど、英国紳士による支配は貪欲だしあくどい。

 

おまけ

スリランカの有名な観光地、ゾウの孤児院

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。