全国のピュアな少年や青年が、ドキドキしながら学校の下駄箱を開ける日。
それが2月14日の「ふんどしの日」、じゃなくてバレンタインデー。
いまの学校でもそんな昭和な展開があるかしらんけど、この日に女性が男性にチョコをプレゼントする習慣はまだ日本にある。
この由来となった物語はこんなものだ。
日本なら弥生時代の3世紀、ローマ帝国の皇帝クラウディウス2世はこう考えた。
「愛する人を故郷に残したまま戦いに出たら、兵士の戦意はダダ下がりにならないか?そしたら、勝てる戦も負けてしまって、最悪ローマ帝国が滅亡するかも!」
そんな理由から、皇帝は兵士に結婚の禁止を通達する。
だがしかし、このときのローマにはウァレンティヌス(英語読みでバレンタイン)というキリスト教の司祭がいた。
*以下、バレンタインでセリフはたぶん。
「愛する男女の邪魔をするヤツなんて、馬に蹴られて死ねばいいのに」と思ったバレンタインは国の政策に背いて、コッソリと兵士のために結婚式を行っていた。
やがてその話を知って、激怒する皇帝クラウディウス2世。
「オマエ何してくれてんの、いやマジで。兵士の結婚はダメって言ったよね?二度とすんなよ」という皇帝の命令に逆らって、バレンタインはまた愛する男女を結びつけた。
そして皇帝の命令によって、バレンタイン司祭はは2月14日に処刑されてしまう。
後世のキリスト教徒は、愛と勇気をつらぬいた司祭バレンタインを「恋人たちの守護聖人」にし、彼に敬意を示して命日を「Saint Valentine’s Day(=聖バレンタインの日)」というお祝いの日にした。
…なんて話が、バレンタインデーの由来として日本ではよく語られている。
でも実際には、女性を戦場へ連れて行くのは認められていたという説もあるし、本当にローマ皇帝が兵士に結婚を禁じたかは分かっていない。
だからこれはバレンタイン伝説で、歴史的な事実と思わないが方がいいですよ。
それより何より、キリスト教世界で重要とされているのはソコじゃない。
バレンタインが尊敬されているのは、彼が皇帝からキリスト教を捨てるよう迫られても、それを最後まで認めず、キリスト教を守って死んだ殉教者だから。
皇帝クラウディウス(Claudius)はバレンタイン(Valentinus)に信仰を捨てるか、それを拒否して棍棒で殴られ首をはねられるかを選ばせる。
それでも信仰をつらぬいたバレンタインは、皇帝の命によって269年2月14日に処刑された。
Claudius refused and condemned Valentinus to death, commanding that Valentinus either renounce his faith or he would be beaten with clubs and beheaded. Valentinus refused and Claudius’ command was executed outside the Flaminian Gate February 14, 269.
バレンタインが命がけで結婚式を挙げただけなら、カトリック教会が彼を聖人に認めることはない。
西洋キリスト教世界では、バレンタインが若者たちの愛を守ったことより、皇帝に脅されても信仰を捨てずに、殉教を選んだことがこの上なく高く評価されたのだ。
でも日本では、バレンタインは「ただ愛のために死す」みたいなマンガ的な理解が一般的で、宗教を守って処刑されたという歴史的な面が重視されてない。
自分の命をかけても結婚式を挙げていたことが聖人になった理由だと、ロマンチックなカン違いをしている人がネットで散見される。
日本人でバレンタインに近い人には、豊臣秀吉の命令で処刑された「日本二十六聖人」がいる。
どっちも聖人だから「同じ」といっていい。
でも、日本でバレンタインデーは商業イベントで、ドキドキしながら下駄箱を開ける日だからこれは仕方ない。
だとしても、キリスト教の聖人としてのバレンタインについても知っておいていいと思う。
当時のローマ帝国執政者にしてみれば、古代ローマの共和制を経て皇帝による専制政治へと推移した、とは言えそのローマ皇帝も最初から武力でローマ帝国を統一したわけではなく、ローマ市民の同意のもとに選出された「大統領」とも言えるような存在でした。(国土が広すぎたので、現代のように全国民による選挙はできなかったけれども。また、日本の皇室のように全員が万世一系の男子で継承されていた訳でもない。)いずれにしても、政治の代表者は、国民が選んだ「有能な人間」であったのです。また、ローマ時代の伝統的な宗教は、日本と同じく「多神教(地域毎の土着の神様を崇める宗教、ギリシャ・ローマ神話)」でした。
そこへ、首都ローマから遠く離れた辺境の地、中東から由来する一神教(当時は原始キリスト教)、つまり「この世は全知全能の創造主により作られたものだ、その神との契約により忠誠を誓え」などという思想が帝国内に拡がりつつあったのだから、ローマ皇帝らの危機感は大変なものだったでしょう。市民がローマ皇帝の言うことを聞かず、教会の命令に従うばかりになっては、国家の秩序を維持するのが不可能になってしまうと当然考えられたでしょうから。
その問題へのローマ帝国側の対策は「キリスト教を国教として認める」という形を取りました。結果、ローマ帝国は滅びたが、その後もキリスト教だけは生き残ったのです。
日本は、一つの特定宗教だけが現実世界で大きな政治力を持たない、世界でも珍しい国です。