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韓国は、日本と中国とで反応が違う。
日本には強いけど、中国には甘い。というか弱い。
そんなテーマで書いているから、「サーチナ」のこんなニュースをピックアップしてみました。
日本を訪れないと分からない日中の差、まさに「百聞は一見にしかず」=中国
記事が紹介しているの「日中の差」は、日本人からすればごく当たり前の事柄ばかりだ。例えば、日本で公共交通機関を利用した際、乗客が降りるときには車掌や駅員が「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べていたと紹介。こうした対応は社会主義国の中国では見られないものであることを伝えた。
ほかにも日本のコンビニは中国とはちがって、飲食物を提供するだけではない。
ATMも使えるなど「あらゆる消費者のニーズに応える存在」であると指摘している。
それはいいけど、「社会主義国の中国」?
今の中国は社会主義でも資本主義でもなくて、お金が第一の「拝金主義国」だと聞いたけど。
今の中国を、本気で社会主義の国にしようと考えている人がいたら、中国共産党が困るんじゃないかな?
「バカ言ってんじゃねえ、現実的に考えろよ!」って。
前回、韓国の中国と日本に対する反応の違いについて書きましたね。
一言でいったら、韓国は中国には甘い。というか、弱い。
でも、日本に対しては強い。厳しい態度で出てくる。
その例として、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」と清(中国)の「丙子の役(へいしのえき)」を例に出して説明しようと思ったけど、やめた。
これは、独立させて別の記事にしたほうがいいと思ったから。
なんで別の記事にしたほうがいいと思ったのかといえば、「朝鮮出兵のときに、朝鮮国王が住んでいた王宮(景福宮)を日本人が焼いた」と思っている人が、かなりいるみたいだったから。
念のため、朝鮮出兵とはこんなことでしたね。
豊臣秀吉の朝鮮出兵
秀吉は2度にわたって小西行長、加藤清正らに命じて朝鮮半島に兵を送り、朝鮮軍や明軍などと戦った。文禄の役(1592~93)では、倭軍(日本軍)は現在の平壌とソウルに達した。慶長の役(1597~98)では、朝鮮半島南部で激戦が展開されたが、日本側は秀吉の死で撤退した。
朝日新聞掲載「キーワード」の解説
で、結論から言うと、景福宮を焼いたのは日本人じゃない。
国王やその側近が景福宮から逃げ出してしまった後に、朝鮮の民衆が王宮を焼いてしまった。
にもかかわらず、このブログに来ていただいている「検索キーワード」を見ると、「豊臣秀吉 王宮 やいた」といった言葉がけっこうある。
検索キーワードの1位になったことも。
だから、「朝鮮出兵のときに、日本人が景福宮を燃やしてしまった」という間違いを事実だと信じていたり、そんな話を聞いたりした人はけっこう多いと思う。
朝鮮の人たちが燃やしたことを、日本人のせいにされてはたまらない。
これはぜひ、多くの人に知ってもらいたかったから、こうして別記事にしたワケだ。
この「日本人放火説」で、個人的にショックを受けたことがある。
それはソウルを旅行していたときのこと。
景福宮には無料の日本語ガイドサービスがあったから、そのガイドの説明を聞きながら景福宮をまわっていた。
ガイドは韓国人のおばさんで、建物や時代背景などを丁寧に説明してくれ、さらに写真を撮るポイントも教えてくれた。
その日本語ガイドが終ってから、「英語のガイドも聞いてみたいなあ」と思い立って、集合場所に向かった。
英語ガイドはたくさんの外国人を前にして、まず自己紹介した後にこんな話を始める。
「この景福宮は、とてもすばらしい王宮でした。でも、朝鮮出兵のときに日本人によってすべて燃やされてしまったのです。この王宮だけではありません。日本人によって韓国全土の貴重な文化財も燃やされてしまったのです」
この話を聞いて、言葉を失ってしまった。
日本語ガイドのときとは、まったく違う内容になっている。
「外国人には、こういう説明をしているのかあ」とショックを受けた。
まあ、若かったからね。
今なら、これぐらいでは驚かない。
「まあ韓国だったら、そんなこともあるんじゃないの?」ぐらいにしか思わない。
「日本人放火説」のことは、こちらに記事で↓
景福宮(ソウル)の日本語ガイドさんの説明では、ここに注意して。
繰り返して言うけど、日本人は燃やしていませんよ!
「秀吉憎し」の気持ちはわかるけど、話を拡大しないでくださいね。
さて、1590年代には朝鮮出兵があった。
その約40年後、1636年に今度は清(中国)が攻め込んできて、武力で圧倒し朝鮮を制圧した。
それを「丙子の役(へいしのえき)」という。
このときは秀吉の朝鮮出兵よりも大きな被害があったという話もある。
武力に略奪が行われ、すべては焼き尽くされ、官も民もすっ裸の状態であり、秀吉の侵攻よりも甚だしいものがある
(日本の驕慢 韓国の傲慢 徳間書店)
韓国の歴史教科書は丙子の役についてこう書く。
大きな被害を受けた朝鮮は、政府も民衆も清に対する敵対感情と復讐心に燃えた
(韓国の中学生歴史教科書 明石書店)
このときはこう思っても、今の韓国人には「敵対感情」や「復讐心」はもうないだろう。
中国とのもめ事が起きときに、たまに思い出すぐらいじゃないの?
朝鮮日報のTHAADのコラム(2016/08/28)みたいに。
朝鮮は十分な力もないまま中国と対峙(たいじ)し、悲惨な目に遭った。中国は武力と恐怖によって、国家としての自尊心を踏みにじった。当時の屈辱は韓国人の脳裏に刻み込まれ、民族的なトラウマになった。
THAAD配備反対派の間では「第2の丙子胡乱」という言葉まで出てきている。THAAD韓国配備問題、「城外」の敵と「城内」の戦い
この記事を読んでいて、突然「丙子胡乱(丙子の役)」という言葉が出てきてちょっと驚いた。
「へえ、こんなふうに使うんだあ」と。
でも、豊臣秀吉への「敵対感情」と「復讐心」なら、今でも山盛りある。
この「ニュースポストセブン」の記事には、「韓国人が一番嫌いな日本人」として豊臣秀吉の名があげられている。(2015.06.24)
「被害者の立場は千年変わらぬ」説く韓国に加害者の過去あり
いまの韓国人は秀吉の朝鮮出兵を「とてもひどい侵略だった」と考える一方、中国の「丙子胡乱」に対してはそうでもない。
そもそもふつうの韓国人で「丙子胡乱」を知ってる人がどれだけいるのか。
こういうところも、「何をしたか?」ではなくて「どこの国がしたか?」によって判断が変わるという韓国スタンダードがあると思う。
やっぱり韓国は歴史認識で中国には弱くて、日本には強い気がしてならない。
韓国の新聞の特徴②日韓関係が悪くなると慌てる(釜山の慰安婦像)
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