きのう5月5日は「こどもの日」。
それである韓国人がSNSに、こんなことをつぶやいたのを発見。
「1923年に制定されてから、今年で100周年になるようです。知りませんでした。世界各国で「こどもの日」を制定していますが、5月5日にしているのは日本と韓国だけです。」
チョット調べてみたところ、この日が「こどもの日」になっているのはたしかに日韓だけらしい。
意外だったのは1923年という年で、これは1910年に日本が韓国を併合してから約10年後、朝鮮半島を統治をしていた時代のコトだ。
「ということはこれも、統治時代に韓国へ伝わったいわゆる”日帝残滓”の一つか?」と思ってみてみると、その答えはイエスでありノーでもある。
「こどもの日」は日本統治時代の小説家、方定煥(パン・ジョンファン:1899年 – 1931年)が制定した。
『ソウル歴史博物館』のホームページにある「パン・ジョンファン(方定煥)とこどもの日」には、韓国の未来は子どもたちにかかっていると考えたパンが、子どもに尊重の意味を込めて「オリニ(子ども)」と呼ぶことを提案したと書いてある。
そんなパンは子どもたちが楽しめる児童雑誌『オリニ』を発行し、こどもの日を提案したという。
「韓国のこどもの日は1922年5月1日に制定され、1923年には行事をさらに拡大して行いました。」
5月1日は「メーデー」と同じ日だから、1928年に5月の第1日曜日へ移動する。
そして出てくるこの記述。
「毎年盛大な行事が行われましたが、日本の植民地時代には日本から弾圧を受け、1937年にこどもの日の行事が禁止されるようになりました。」
この書き方だと、まるで朝鮮時代から「こどもの日」が祝われていたのに、日本時代になるとそれが弾圧され、禁止されたという誤解を受ける可能性がかなり高そう。
きのうの朝鮮日報のコラムもそんな感じだ。(2022/05/06)
【萬物相】100回目の「こどもの日」
1923年に「こどもの日」が制定された際tのスローガンは、「罵(ののしる)るまい、叩くまい、働かせるまい」だった。
こういう子どもの人権無視や虐待を連想させる当時の韓国社会の風潮は、このころ突然生まれたとは考えにくいから、朝鮮時代からあったのだろう。
実際、上下関係に厳格な儒教を国教としていた朝鮮時代は、子どもに対して大人や教師の権利は強大だったはず。
そしてまたこの言葉が出てくる。
「日帝は、そんな「こどもの日」を弾圧した。祝賀の行列すら許可しなかった。(中略)1937年に日中戦争がはじまると、「こどもの日」をはじめとする全ての集会が禁止された。」
ここでのキーワードは1937年の日中戦争。
戦争が始まったこのころから、日本本土でもお祭りムードは消えて「戦時体制」へ入っていったから、日本の「こどもの日」のイベントも禁止されたと思う。
この対応はきっと日本共通で、特に韓国人を狙い撃ちしたものではない。
ソウル歴史博物館も朝鮮日報も「日帝の弾圧」の具体的な中身や目的にはまったく触れてないから、それがどんな実態だったのかサッパリ見えてこない。
方定煥(パン・ジョンファン)は日本へ渡って、東京の東洋大学で児童文学と児童心理学を学んだ人だ。
そのあとパンは朝鮮初の児童文化団体である『セクトン会』を組織して、これも朝鮮では初めての純粋児童雑誌『オリニ(子供)』を創刊する。
日本語版ウィキペデアにはあるこの重要情報が、『ソウル歴史博物館』や『朝鮮日報』には一切ない。
『セクトン会』や『オリニ(子供)』の活動、『こどもの日』の制定は日本で教育を受けなかったら出てこなかった発想だろう。
日本の影響があることは間違いないから、これが”日帝残滓”と言えなくもない。
まあこれは韓国のことだから、その判断は韓国人にまかせる。
日本による韓国併合は「弱肉強食」の帝国主義時代ではよくある出来事で、欧米列強の支持もあった。
とはいえ独立国としての主権を奪ったのだから、日本が韓国に併合されたと思えば、いまの韓国の人たちが「許せない」という気持ちになることも分かる。
でも、すべてを単純に闇にしてしまうと、歴史は見えなくなる。
このまえも朝鮮日報にこんな記事があり。(2022/04/03)
「日帝の言論弾圧、英国も手を貸していた」
現代の韓国社会ではこの時代の「抗日運動」は正義のカタマリで、これを否定することは国や民族に対する裏切り行為になる。
でも100年ほど前のイギリスなどの列強は、抗日運動を「秩序を害する暴動」とみていて日本に協力した。
だから、記事の中で韓国の大学教授が「抗日言論に対する日帝の弾圧に英国が同調した」と非難する。
この時代の国際社会ではこれが当たり前の認識で、イギリスの植民地だったインドで「抗英運動」が行われたら必ず弾圧されるし、他の国も「抗英運動」ではなくて、イギリスの味方をしたはずだ。
当時の常識や事情は一切考慮されず、ただひたすら現代の韓国人の価値観だけで見て裁く。
「こどもの日」の報道も同じで、日本統治時代にあったことはすべて”闇”にされる。
「罵る、叩く、働かせる」というのは朝鮮時代にあった子ども観で、それを変えたのが日本じゃなかったのか?
東洋大学への入学が認められ、そこで児童文学と児童心理学を学ばなかったら、方定煥(パン・ジョンファン)はいまの方定煥にはなれなかった。
「日本時代はすべて暗闇」という見方から、何でも「日帝の弾圧」にしていたら正確な歴史は見えてこない。
嫌なことは何でもかんでも他国のせいにして、他国を恨んでばかりいたところで、自国はよくはなりませんよ。
共感します。
日本の朝鮮併合は時代の流れでした。朝鮮が自らを守る力量を持たず、腐敗し無能だったため、併合されたのです。異民族によって国が滅び、彼らの一部に編入されることが自尊心を傷つけ、これに激怒して自殺した一部官僚や선비(ソンビ)(知識人)もいましたが、ほとんどの朝鮮民は同族による逼迫よりは異民族(日本)によってむしろ良い生活を送ることができるようになりました。歴史は歴史と見なければなりません。 韓国人は日本との歴史は歴史と見ずに感情を介入させます。理性的に考えることができる時、初めて韓国は先進国入りすることができます。
日本統治の直接的なきっかけは日露戦争での勝利でした。
もし日本が負けていたら、朝鮮も日本もロシアの植民地になっていたでしょう。
そうなったときの苦しみは想像できません。