歴史をふり返ると、沖縄では5月に重要な出来事が起きている。
1609年5月には琉球侵攻で尚寧王が薩摩藩に降伏し、琉球国は日本(薩摩)に従属するようになった。
時代は一気に進んで太平洋戦争の末期、1945年5月に沖縄では激烈な地上戦が行われ、9万4000人の住民が犠牲になる。
ナパームで高地を焼き払い、日本兵を炙り出して掃討しつつ一日でようやく60m進んだが、その後丘陵部を25m前進すると、日本軍の猛烈な反撃でまた元の陣地に押し返された。
日本兵のいる洞窟を火炎放射器で攻撃するアメリカ兵
戦争終了後、アメリカの統治下におかれた沖縄では、日本本土へ行くにはパスポート(身分証明書)が必要になった。
そして1972年5月15日、やっと沖縄は日本に戻って、記念式典で佐藤栄作首相がこう語る。
「沖縄は本日、祖国に復帰した。過ぐる大戦において尊い犠牲となられた幾百万の御霊(みたま)に謹んでご報告したい」
パスポートが不要になったのはこのときから。
それから50年がたったいま、96万人だった沖縄の人口は146万人に増え、交通網も整備されて、読売新聞の世論調査では、8割以上の県民が順調に発展してきていると答えたほどになった。
でも、段階的に返還されてるとはいえ、国土の0.6%しかない沖縄県に日本中の米軍基地の7割が集中しているから、沖縄がかかえる負担はとても大きい。
これは全国的な問題だから、本土復帰の5月15日、大手新聞はこぞって米軍基地問題を社説で取り上げた。
「地元の人々が期待したような基地の整理縮小は実現せず、かえって機能強化が進んだ。」と毎日新聞が沖縄の負担軽減を重視すれば、読売新聞は「経済や文化の拠点としての存在感をさらに高めていくことが重要だ。それが、沖縄の繁栄や地域の安定の礎ともなろう。」と沖縄の発展を強調する。
シーサーの後ろから日本軍の様子をうかがう米軍兵士
ことし4月、知り合いのインド人カップルが沖縄を旅行した。
「インド人、沖縄の独自性に驚くの巻」はまた後日書くとして、ここでは、米軍基地の“不条理”を感じた彼らが考えた解決案を紹介しようと思う。
そのインド人が沖縄についてネットで観光情報を入手していると、その過程で沖縄がかつて独立国だったこと、そしていまは米軍の重要拠点になっていることを知る。
沖縄の地図を見ると米軍基地や関連施設がいくつもあって、0.6%に7割が集中しているという事実は衝撃的だったとか。
国民の日常や幸せは国防が土台になっているから、軍隊の大切さはよく分かっているとしても、それでも米軍の存在感は大きすぎ。
米軍基地の跡地に建てられた「美浜アメリカンビレッジ」に行ったら、想像以上のデカさで、米軍基地の大きさがよく分かった。
このインド人夫婦の感覚だと、国や国民を守るために軍の基地があるのは当然だし、必要なことだけど、でもそれは自国の軍隊であるべき。
インドには外国軍の基地はひとつもなく、インドの安全はインド軍が100%の責任をもって守っているという。
他国と同盟を組んでいたとしても、自分の国は自国の力で守るべきという考えの彼らからすると、米軍ではなくて、“日本軍”の基地だったら何の問題も違和感もない。
もちろん日本国憲法を遵守する日本国民の立場からすると、これはアニメの世界の話で現実では考えられない。
そんな話をすると、インド人はこう言った。
「それがダメなら、『核保有』はどうなんだ?最近、日本でそんな議論があっただろ?」
これはアメリカの核兵器を日本に配備して、アメリカと共同運用していくという安倍元首相が提唱した「核共有」のことだろう。
インドは核保有国で、この夫婦はそれを支持している。
その理由はシンプルで、戦後インドとパキスタンは第一次(1947年)、第二次(1965年)、第三次(1971年)の3回も戦争をしたけど(印パ戦争)、核兵器を保有してからは一度もない。
*インドは1974年、パキスタンは1998年に核保有国になった。
印パの対立は続いていても、核が抑止力になってお互い手を出せないでいるから、全面衝突という最悪の事態を避けて、とりあえず平和は保たれている。
核兵器の目的はそれを使うことではなくて、持っていることだと彼らは言う。
戦争とは結局は損得の問題だから、自分が破滅することを前提で戦争をしかける国はないし、実際にインドとパキスタンはそれで“うまく”いっている。
トラやライオンを放し飼いにしている家に泥棒が侵入しないように、核兵器は強さのシンボルになっていて、それがあると国民は安心できる。
ヒロシマ・ナガサキの悲劇から、わたしたちは学ばないといけない。
問い:沖縄が抱える米軍基地の負担を軽減するには、どうすればいいのか?
答え:日本軍の基地を置くか、日本が核保有国になる。
このインド人カップルの考えは現実の日本じゃなくて、別の世界線にある日本でないと実現不可能だ。
特に広島と長崎の歴史を学んで核保有国になるというのは、日本人の発想の真逆をいっている。
でも、インドが戦後に経験したことや、現在置かれている状況は日本とは大きく違うから、彼らの常識がこちらの非常識になるのもやむなし。
では世界的にみれば、どっちの意見が常識的なのか。
インドで尊敬されるチャンドラ・ボースと日本軍のインパール作戦
明治の日本②海外の反応とは?日露戦争・日本海海戦(東郷平八郎)
> このインド人カップルの考えは現実の日本じゃなくて、別の世界線にある日本でないと実現不可能だ。
それはその通りです。現実の日本では、おそらく、ほぼ半永久的に実現不可能でしょう。
ですがその考え方が「沖縄が抱える米軍基地の負担を軽減する」ためには、かなり有効であることは認めざるを得ません。もしかすると最も有効な方策かもしれない。
ただし、私自身は「日本の核保有」にはあまり賛同できないし、抑止力としてもさほど有効でないと考えています。なぜなら、たとえ日本が何らかの核兵器を保有したとしても、敵対する核保有国は「必要とあれば躊躇なく日本に向けて核攻撃をしてくる」だろうからです。今回のウクライナ紛争を見るにつけてそう思いました。
そしてたぶん、核攻撃で被害を被ったとしても、日本は核兵器をもって報復することはしない(できない)でしょう。また米国も「核の傘」の下にある日本が核兵器で被害を被ったとしても、米国自ら自国の核兵器を使って敵対国に報復したりはしないでしょう。
でも、沖縄各所にある米軍基地が核攻撃を受けた場合は話が別です。またそこには、しっかりした「抑止力」が(米国の)敵対国に対して働いています。米国は、自国の核兵器を自国のためにしか使いませんよ。当然です。