【日本分割】江戸“三百藩”はいつ、47都道府県になったのか?

 

いまの日本は47の都道府県に分かれている。
日本に住んでいる外国人にもそれは常識だから、江戸時代には「三百藩」があって、静岡県西部(遠江国)だけでも浜松藩、掛川藩、横須賀藩…といくつもの領地があったと知って驚く外国人もいる。
1万石以上の領地が藩で、その支配者が大名(お殿さま)。
「江戸の三百藩」はよく使われる表現だけど、実際には260藩ほどだったから、これはけっこう盛っている。

まえにトルコ人にそんな話をしたら、「じゃあ、いまの47都道府県はいつできたんですか?」と質問されて困った。
日本では、300がいつ47になったのか?
そんなことは考えことなかったから、いつものように死んだフリをするか、「そんなことより野球しようぜ!」と誤魔化そうと思ったけど、ボクも興味があったんで調べてみた。
するとまず、1871年(明治4年)の廃藩置県によって、東京・大阪・京都の3府と302県ができたことを知る。そして1888年に香川県が設置されて「1道3府43県」が成立し、1889年のきょう5月17日、明治政府が「府県制・郡制」を制定したことで「47分割」が確立し、東京府が東京都になるとか細かい変化はあったものの、現在まつづいている。

ついでに言うと江戸時代、一般の日本人は「藩」なんて言葉を知らなかった。
これは「藩屏(はんぺい)」という中国語に由来する言葉で、江戸時代には一部の知識人が使っていたぐらいで、庶民にはまったく関係ない。
明治政府が江戸時代の大名の領地を「藩」と呼ぶようになってから、一般にも広がっていく。
だからたとえば江戸時代に、長州藩の人間が「長州藩」と聞いても「ハンってなに?」となったと思われる。

 

「府県制・郡制」が制定されたあと実は、いまの北海道と沖縄県を除いた45府県を28に削減する「府県廃置法律案」があったのだ。
1903年に明治政府がこれを閣議決定して、翌年4月から施行されるところまで進んだけど、衆議院の解散や日露戦争のぼっ発によって、結局この案は実現せず。
これによると静岡県が「名古屋県」と「神奈川県」に分割されて存在してないから、いまの静岡県民にとっては悪夢でしかない。

 

府県廃置法律案に基づく「日本分割案」

 

ほかにも岩手、岐阜、和歌山なんかが「イラナイ子」として抹殺されている。
いまの群馬県民に「宇都宮県民」を強要したら、もはや栃木との全面戦争は避けられない。
明治政府はなんというオソロシイ計画を立てたのか。(しかも閣議決定済み)
だから、いまの都道府県民のアイデンティティーも1889年ごろから形成されたとみていい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。