日本の天皇と英国の国王:国民との距離の違い・そのワケ

 

エリザベス女王の即位70周年を記念して、6月4日にロンドンのバッキンガム宮殿で音楽コンサート開催される。
出演アーティストはクイーン、ダイアナ・ロス、デュラン・デュラン、ロッド・スチュワート、エルトン・ジョンといった伝説レベルがめじろ押し。
こうした豪華アーティストを集められるのはエリザベス女王か、食糧危機におちいったアフリカの子どもぐらいか。

 

これは2012年に行われた即位60周年のコンサートの様子

 

イギリスのお祝いはかなり派手で、日本のお祝いは厳粛だ。

 

イギリスの国王も日本の天皇も“君主”に相当する存在だけど、国民の見方や距離感は大きく違う。
以前イギリス人から、王が亡くなると「The king is dead, long live the king!」(国王は死んだ、国王万歳!)という言葉を使うと聞いて驚いた。
前者の「The king」は亡くなった王で、後者の「The king」は新しく即位する王のこと。
これ同時に言うことで、イギリスに王の不在期間はなく、王政はこれからもつづくということを示しているらしい。
日本ではそんな場合、「崩御」という特別な言葉を用いる。
日本のメディアが「天皇は死んだ」とか報じたら、そのメディアがご臨終になる。
「死にました」という敬語でも許されない。

 

日本の皇室に比べると、イギリス王室は良くも悪くも国民との距離が近い。
2012年にノリというか軽い気持ちで、一般人がエリザベス女王へ手紙を送って自分たちの結婚式に招待した。
すると王室から、出席できないことへの謝罪と招待してくれたことへの感謝の気持ち、そして2人への祝福の言葉が書かれた手紙が届く。
日本なら分厚い「壁」があるから、一般国民に天皇陛下を結婚式へ招待するという発想は出てこないだろうし、皇室から返事がくることも考えられない。

でも、話はこれからだ。
これがイギリス式のユーモアなのか、結婚式の当日、エリザベス女王と夫のフィリップ殿下がサプライズで本当に来てしまったのだ。
おふたりと握手して言葉を交わしたカップルは、「最高のプレゼント」だったと大喜び。
くわしい内容はBBCの記事にある。(24 March 2012)

Queen’s wedding visit at Manchester Town Hall ‘the best present’

 

そのときの様子

 

日本なら手紙を書いて、ホントに来てくれる可能性があるとすればテレビ企画の「憧れの芸能人」ぐらいで、天皇皇后両陛下がサプライズゲストで登場するというのは、アニメの設定でもありえない。
それを直前に知ったカップルが笑顔で女王を迎えて握手することも、一般の日本人なら到底無理だろう。
天子の行くところでは、全ての民が幸を受けるという意味から、天皇が御所を出てどこかへ移動することを「行幸(ぎょうこう)」という。
一般国民の結婚式に行幸される必要はない。
あとでふり返って「あれは最高のプレゼントだった」と笑顔で言えるのは、日本ならやっぱり芸能人だ。

 

なんで日本とイギリスでは、こんなにも国民と王室・皇室との距離が違うのか?
その理由は1つや2つじゃなくて山盛りあるとして、イギリス人から聞いて「ナルホドな」と納得したのが、17世紀に起きた市民革命「清教徒革命」で国王が公開処刑されたことだ。
国王軍を破ったクロムウェルを中心とする議会派がチャールズ1世を捕らえた後、多くの民衆を集めて、王にひざまずかせオノでその首を切断した。
チャールズ1世の最期の言葉がこれ。

「我は、この堕落した王位を離れ、堕落し得ぬ、人生の極致へと向かう。そこにはいかなる争乱も存在し得ず、世界は安寧で満たされているのだ」

 

首を失った王の身体から、大量の血が噴き出している。

 

日本の歴史で一度もなかったことが「王殺し」だ。
フランスや中国では国王や皇帝を殺して王朝を断絶させ、新しい時代をスタートすることがあって、むしろこれが世界史の常識だけど、日本では王朝が交替したことはない。
朝廷と幕府が戦った13世紀の承久の乱では、勝利した幕府側が天皇を廃位させて新天皇を即位させ、上皇を島流しにしただけで、天皇や上皇の身体には指一本触れなかった。
これが将軍だったら、3代将軍・源 実朝(さねとも)が公暁に暗殺されて鎌倉幕府の源氏将軍が断絶したとか、室町幕府6代将軍・足利義教が赤松満祐の謀反によって殺害されたとか(嘉吉の乱)、血なまぐさいことが起きている。

歴史にくわしいイギリス人に、清教徒革命ではなんでチャールズ1世を殺したのかたずねると、

「そんなこと考えたこともない。フランス革命でもそうだったし、なんで日本では承久の乱のときに処刑しなかったのか?」

と逆質問をくらって困りました。
その人の見方では、当時のイギリス人は宗教熱心で、キリスト教の考え方ではすべての人は神によってつくられたことになっている。
偉大なる神の下では、市民も国王も同じ「創造物」でしかない。
だから神をなくすことは恐れ多くてできないけれど、王をこの世から排除することは、発想としては自然で違和感はない。
チャールズ1世を処刑した行為の背景には、必ずキリスト教に基づく考え方があったはずだから、きっとそういうことだろうと言う。
となると同じ“被造物”なら、結婚式にサプライズ出席することもアリか。

 

日本には「八百万の神々」がいても、すべての人間を創造した神はいないから、キリスト教とは発想の前提がが違う。
「王殺し」ができたイギリス人でも、神を“殺す”ことはできなかったはず。
歴史的にみると、日本人にとっての天皇はヨーロッパ世界における神に等しい存在だったから、その存在を消すという発想は出てこなかった。
そんな歴史の延長にいまがあるから、日本とイギリスでは君主への見方や距離感がそれぞれ独自のものになっている。

 

 

『The king is dead, long live the king!』にみる日英の違い

“イギリス”なんて日本だけ。4つで1つのUKは女王でまとまる

ヨーロッパ 目次 ①

ヨーロッパ 目次 ②

ヨーロッパ 目次 ③

ヨーロッパ 目次 ④

 

1 個のコメント

  • > だから神をなくすことは恐れ多くてできないけれど、王をこの世から排除することは、発想としては自然で違和感はない。

    もう一つ大事な視点として、キリスト教の The God は、イギリスに発祥した概念(?)ではなく、中東からローマ帝国を経てイギリスへ「持ち込まれた」宗教の主であるということがあります。すなわち、イギリス人(を含めた多くの欧米人)にとって、キリスト教の「ザ・神」は、日本に土着の神様とその子孫である(らしい)天皇家の程度どころではない、まったく別格の存在なんです。もしかすると宇宙人? バビル1世?
    彼らのKingsとThe Godは、日本人にとってのEmperorsとはぜんぜん違う。
    ヨーロッパ各地で、神々が人間との間に「混血児を儲けた」のは、せいぜいギリシャ・ローマ神話の時代までだったのです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。