米国人の見方:フランスと違い、日本で革命がなかった理由

 

10年ほど前、20代のアメリカ人女性と京都を旅行したとき、事前にどこへ行きたいかたずねたら「Imperial Palace!」というから京都御所にも足を運んだ。
そこを見て回ってから感想を聞くと、「ビックリするほど退屈。想像してたのとぜんぜん違った」とニューヨーカーらしい率直さで、感じたことをそのまま言葉にしやがりました。
でも、「日本で革命が起こらなかったワケがよく分かった」とも言う。
ヨーロッパや中国では当たり前のようにあった革命が、なんで日本の歴史では一度も起こらなかったのか?
フランスに留学していたそのアメリカ人には、京都でその答えを見つけたので今回はそれを紹介しようと思う。

 

ほんじつ6月7日は、1654年にフランス国王ルイ14世が戴冠式を行った日。
4歳で即位したルイ14世はすくすくと育っていき、16歳になるとランス・ノートルダム大聖堂で戴冠式をして、ブルボン朝の黄金期を築く偉大な「太陽王」への道へ進んでいく。
「ルイ大王」とも呼ばれるルイ14世をトップにする当時のフランスは、ヨーロッパ最大の陸軍を持っていて、戦争をして領土を広げていった。
その意味で彼は「戦争王」でもある。
戦争でドンドン領土を拡大していき、ルイ14世は現在のフランスとだいたい同じ大きさの国土を手に入れた。(ルイ14世
フランス=自分で「朕は国家なり」と豪語したともいわれるルイ14世は、権力を自分に集中する絶対王政のスタイルでフランスを統治し、自分が住むにふさわしい建物としてヴェルサイユ宮殿を建てた。
世界的に有名なあの宮殿はルイ14世の富・権力・絶対主義王制の象徴だ。

 

ただ何度も戦争をし、ファビュラス(ものすごい、とてつもない)建造物を建てて、優雅でゴージャスな生活をしていたら、国家の金はつぎつぎ蒸発するしかない。
となるとさらに税が重くなって、最終的に苦しむのは民衆だから、“諸悪の根源”が亡くなると民は喜びを爆発させた。

彼の遺体はパリ近郊のサン=ドニ大聖堂に埋葬されたが、民衆は老王の崩御を歓喜し、葬列に罵声を浴びせた。

ルイ14世・崩御 

ルイ14世が「太陽王」と呼ばれる理由は、フランス・ブルボン朝の黄金時代を築いたからではなくて、バレエ大が好だった彼がアポロン(太陽神)の役で踊ったことに由来するとか。それが上の絵。

 

次のルイ15世の生活もファビュラス&ゴージャス。
彼の愛人の1人、ポンパドゥール夫人が建てた邸宅のひとつがいまのフランスの大統領官邸・エリゼ宮だ。あの豪華な建物も愛人の私物のひとつでしかない。
日本人よ、これがヨーロッパの貴族だ。
王・貴族・キリスト教の聖職者といった上級国民の暮らしを支えていたのは、その他大勢の、おびただしい数の貧しい国民。
だから民の不満や怒りは時代とともに蓄積していき、とうとう限界に達して1789年に爆発。
フランス革命がぼっ発して、ルイ16世と王妃マリーアントワネットはギロチンで首を切断されてしまう。

 

 

「よいしょっ」とここで話を冒頭のアメリカ人に戻そう。
フランスに住んでいた彼女はヴェルサイユ宮殿へ、広すぎて1度じゃ回りきれないから何回か行って、そのたびにブルボン朝の王侯貴族の暮らしにただひたすら圧倒された。
アメリカは王や貴族といった封建制度や身分社会を否定して、市民の自由や平等を理念に建国された国だから、特権階級が国民の富を吸い上げてつくったヴェルサイユ宮殿みたいな巨大建造物はない。
アメリカにはないものだから、フランスにいたとき彼女は周辺の国にも足を伸ばして、王や貴族の城や宮殿を見に行ったという。

そんなアメリカ人が京都御所を見た感想は?

今回の旅行でも、日本の皇帝が住んでいた宮殿を見られるということで、それを最大の楽しみにしていたのに、その期待はすぐに裏切られてガッカリした。
建物は低いし小さいし、思わず「ワオ!」と叫ぶような豪華な装飾もない。
ふすまや畳の部屋はとても質素で清潔で、それはそれでいいとしても、これぐらいの建物なら日本のほかのところにもありそうで特に感動はなし。
「山高ければ谷深し」で、期待してなかったらまだよかったのだけど、ヴェルサイユ宮殿まではいかないとしても、もうちょっと豪華な建物を見られると思っていらぜんぜん違った。

ただ、ヨーロッパにある素晴らしい宮殿や城は搾取の象徴でもある。
王や貴族の満ち足りた生活は、当時の国民の犠牲のうえに成り立っていたから、日本では皇帝がこんな質素な生活をしていたことは国民にとってはよかったはず。
現代の外国人観光客にはザンネンだけど。
ヴェルサイユ宮殿を見ればフランスで革命が起こったのは必然だと思ったし、京都御所を見れば日本でそんなことが起こらなかったのも当然だと思う。

 

4~5世紀の仁徳天皇(にんとくてんのう)には「民のかまど」という話がある。
あるとき高台に登って見渡すと、民家のかまどから煙が立ち上っていないことに気づいた仁徳天皇は、庶民は米を炊くこともできないほど貧しいのだと気づき、3年間の税を免除した。
するとヴェルサイユ宮殿の反対で、自分の住む宮殿は荒れて果てて服も新調できなかった。
でもその後、再びかまどの煙が上がるのを見て仁徳天皇はとても喜んだ。
その話が由来になって「仁徳」の名前がつけられたという。
ちなみに現在の天皇陛下の「徳仁(なるひと)」というお名前は、これをひっくり返した形になる。

そんな仁徳天皇の統治を理想的とする記述が古事記・日本書紀にあるから、歴代の天皇もこの話を知っていただろうし、当然この考え方が天皇へ影響を与えたはず。
同じ君主でも、仁徳天皇は戦争と巨大建築のルイ14世の反対側にいるし、「民のかまど」の考え方も「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」というブルボン朝の精神の対極にある。
それに歴史的には武家政権の幕府の方が朝廷より力が上で、費用がなくて天皇の葬式ができなかったとか、正式な即位式を行なえないこともあった。
江戸時代の天皇はぜい沢な生活は許されず、「天子は学問を第一と心得べきこと」という幕府の禁中並公家諸法度に縛られて、質素な生活をしていた。
ヨーロッパとは違って、日本の天皇は国民の怒りが集中して、革命で打倒すべき相手にはならなかった。
知人のアメリカ人の見方は正しく、世界で最も長く王朝にはやっぱりワケがある。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。