【トンでもない】豚を1頭射殺→アメリカ・イギリスの戦争へ

 

「いやー、あんなささいなコトがあれほどの大ごとになるなんて、夢にも思ってませんでした。」

これまでの人生を振り返ってみると、そんなことの一度や二度は誰でもあるのでは。
個人的な体験はいいとして、ここではほんの小さなことが原因で、空前絶後レベルのトンでもない事態に発展した歴史的事件を紹介しよう。

2日前の6月15日、1859年のこの日にいまのアメリカ領で、カナダとの国境にあるサンファン諸島で豚が射殺された。

アメリカ人移住者の農夫がその日、自宅の庭に侵入した豚が植物(たぶんジャガイモ)を食べていたのを発見。
怒った農夫が銃で撃ち殺した後、その豚の所有者は近くに住むアイルランド人であることが分かって、「ゴメンね、これでカンベン」と農夫が10ドルを渡そうとすると、アイルランド人は「足らんわっ」と100ドルを要求する。
そのあと2人で金額を決めて農夫が弁償していれば、この件が歴史に残ることはなかった。

10倍の和解額を提示されると、「そもそもオレの庭に入ってきた豚が悪い!」と農夫が逆ギレしてカネの支払いを拒否。
一説には、アメリカ人農夫が「あの豚がオレのジャガイモを食ってたんだ」と主張すると、オーナーは「ジャガイモが豚に食われないようにするのは、おまえの責任だ」と言い返したとか。
ホント低レベル。
でも、この騒動がアイルランド人側からイギリス当局へ伝わり、当局が農夫に逮捕するゾと脅すと、アメリカ人移住者はアメリカ軍に保護を求めたことで事態はトンでもないことに。

もともとこの辺りはアメリカとイギリスとの間で、領有権をめぐる対立があったところで、この「豚事件」のちょうど3年前、1846年6月15日に両政府がオレゴン条約を結んで国境を定めた。
でもサンフアン諸島はどっちの領土かハッキリせず、あいまいなまま残される。
そんな背景があって庭の豚を殺したことから、アメリカ・イギリスの両軍が動き出して事態はここまでデカくなった。

1859年4月10日までにサイラス・ケイシー大佐指揮の14門の大砲を装備した461名のアメリカ兵と、70門の銃砲と2,140名の兵を載せた5隻のイギリス軍艦とが対峙した。

ブタ戦争 (サンフアン諸島)

 

国境付近で一触即発の状況になっている!
それを知ったワシントンとロンドンはビックリして、アメリカ大統領が「ちょっっとまったぁぁぁぁ」と止めに動いて事態は沈静化し、米英による全面戦争は避けられた。
話し合いによって、サンフアン諸島は米英共同で軍事占領することになり、その期間中、両軍部隊は互いのキャンプ地を訪問したり、それぞれの祝日を祝ったりして仲良しになったらしい。
結局この問題は第三者のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に任せられ、アメリカの主張に沿って解決された。

豚から始まったこの騒ぎは、英語版ウィキペデアにくわしい説明がある。

Pig War (1859)

終わってみれば、この”戦争”での被害者は一匹か一頭の豚だけ。
*子豚は「匹」、親豚は「頭」で数えるのが日本語の約束。農夫に射殺された豚がどっちかなんてダレが知るかと。
結局は豚に始まり豚に終わって「大山鳴動して豚一匹」ということだったんで、「Pig War」と呼ばれるようになる。
たぶんアメリカ人やイギリス人は「豚戦争」みたいな、原因→展開→オチの流れは大好き。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。