「核兵器をもつことが、相手に戦争を思いとどまらせる抑止(よくし)力になる」というインド人の言葉で思い浮かんだのが1962年におきた「キューバ危機」。
「核の抑止論」という考えが世界に広まったのは、アメリカ・ソ連が戦争寸前になるまで対立したこの出来事がきっかけだろう。
このキューバ危機は、人類が破滅するかの瀬戸際だった。
世界中の人々が、核による第三次世界大戦の予測に恐怖しました
「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書 (村田薫)」
第2次世界大戦以降、人類はこれほど危険な瞬間を生きたとはない
「キューバの歴史 (明石書店)」
このキューバ危機は、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたことがきっかけで起きた。
キューバにミサイル基地が完成してそこにソ連のミサイルが配備されてしまうと、アメリカにとって一大事になる。
生きるか死ぬかの死活問題だ
それは、「アメリカの都市に核弾頭が打ち込むことができるミサイルを配備したこと(アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書 村田薫)」を意味し、「核ミサイルがいつ飛んでくるか分からない」という恐怖がアメリカ国民をおそうことになる。
これはアメリカにとって国家存亡の危機。
ソ連の動きを黙認できるはずはなく、当然ケネディ大統領が動き出す。
このときアメリカが猛反発し、キューバにソ連のミサイルを運ばせないように海上封鎖を行った。
結局、ソ連のフルシチョフ第一書記がキューバの基地建設を撤回することで、世界は大戦争を免(まぬが)れることができた。
世界中の人たちはホッと胸をなで下ろしただろう。
キューバのカストロ首相を除けば。
カストロは、核ミサイルをアメリカに打ち込むべきだとソ連に伝えていた。
カストロは、フルシチョフがミサイルの撤去を決めたことをラジオで知って激怒し、鏡をたたき割って八つ当たりをした
「核時計零時1分前 (NHK出版)」
このときの米ソ首脳が抱えたストレスは想像もできない。
自分の判断一つで世界を崩壊させる危険があったのだから。
このキューバ危機の間、アメリカのケネディ大統領は眠れない夜を過ごしていたのだろう。
対立する両陣営が核武装していたという事実は、ケネディにさらなるストレスをかけた。
アメリカの軍艦とソ連の軍艦が交戦といった小さな事件が、何千万という人々の死を招くかもしれない。その悪夢は、たえずケネディを苦しめた。
ソ連の核弾頭がアメリカの都市に一発着弾しただけでも、南北戦争時の二倍にあたる五〇万人以上の犠牲者が出る
「核時計零時1分前 NHK出版」
これと同じ恐怖をソ連のフルシチョフ第一書記も感じていたはず。
でも皮肉なことに、この世界的な危機がきっかけとなって米ソの関係は改善されることになった。
両国の間で何かが起きたときには、米ソの両首脳が直接話をすることができるようにと、ホットラインが結ばれることになった。
米ソのお互いが核戦争の恐怖を感じたことで、仲良しになった。
そしてこの後、核軍縮の流れが世界的に広まる。
1968年には「核拡散防止条約(NPT)」が結ばれて、「米・ソ・英・仏・中」以外の国が核兵器を持つことを禁止された。
これらの5国は、いずれも国際連合の常任理事国ですね。
それ以外の国には「核保有を禁じる!」というのは、自分たちを特別扱いしているようにも見えるけど仕方ないのだろう。
世界的な核軍縮の流れはその後も続き、70年代のデタント(緊張緩和)に結びついた。
デタント
1970年代の米ソ間で進められた核軍縮などの対立緩和
「世界史用語集 山川出版」
キューバ危機のときに米ソ両国が核戦争を覚悟したことが、結果的に核兵器がもつ恐ろしさを両国に実感させることになった。
そしてその後の世界的な核軍縮という動きにつながっている。
本当に歴史は何が起きるか分からない。
「相手と本気でケンカしたことで、かえってその人と仲が良くなった」みたいな。
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