7月24日は、1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を出した日。
「ハガレン」は『鋼の錬金術師』のことで、「バテレン」とはポルトガル語の「padre(パードレ:神父)」に由来する言葉で、この場合はキリスト教追放令と考えていい。
なんで秀吉はキリスト教との共存をあきらめたかのか?
天下人として日本を統治する者にとっては、キリスト教の勢力が拡大し、以前の一向一揆のような反乱につながることを恐れただろうし、この一神教の価値観や考え方は当時の日本人とは絶望的に合わなかった。
・望んでいない人間を無理やりキリスト教徒へ改宗させようとする。
・神道や仏教など日本の伝統宗教を否定し、お寺や神社を破壊した。
・ポルトガル人が日本人を奴隷として買い、海外で売り飛ばしていた。
こんな理由から、秀吉は「キリスト教の宣教師は日本から出ていけ!」とキレた。
特にこの時代の日本には、戦争捕虜を売り飛ばす例外的なことはあったが、奴隷制度はなかったから、人間を馬や豚のように扱うこのシステムを人びとは嫌悪した。
初めてヨーロッパの地を踏んだ日本人は、とても不幸なことに、ポルトガル人に運ばれた奴隷だったと考えられている。
1555年の教会の記録によれば、ポルトガル人は多数の日本人の奴隷の少女を買い取り、性的な目的でポルトガルに連れ帰っていた。
秀吉のバテレン追放令
ナゾ文字すぎて読めん。
そのときから、500年がすぎた21世紀のナウ。
もう武士も奴隷もいなくなり、まったく違った社会になって、世界中の人がネトフリで『ハガレン』を楽しむ時代がやってきた。
いまの日本で、キリスト教徒と日本人の対立は特に聞かない。
でも、同じ一神教のイスラム教徒とは価値観・文化の違いで、チョットしたトラブルから「土葬問題」など全国ニュースになるような騒ぎが起きている。
現代の日本ではほぼ100%火葬が行われていて、土葬への拒否感が強くある。
だからそれが文化というか、信者として義務付けられているイスラム教徒にとって、日本で死者を埋葬する土地を確保することはかなりハード。
九州の大分県でイスラム教徒の団体が墓地を建設する計画を進めていると、それを知った地元住民が大反発して一時ストップした。
町はその予定地について、「条例で町が定める基準に適合する」とイスラム教徒側に回答したから、九州で初となるイスラム教徒の土葬墓地が実現しつつある。
でも、その建設予定地の近くには飲料水の水源地があることから、周辺住民にはいまもこの計画に反対する人が多い。
テレビ大阪(2022/7/20)
ムスリム土葬墓地 近隣住民が日出町に反対署名1300人分提出 大分
読売新聞(2022/07/24)
イスラム教徒の土葬墓地計画、住民から反対相次ぐ…予定地の550mに水源
法的な問題がないのなら、全体的にみればこの計画は粛々と進められていくと思う。
かといって、住民の気持ちを無視して強引にやってしまうと後々にまで禍根を残すし、日本にイスラム教への拒否感も広がっていくだろう。
令和の日本で「ムスリム追放令」なんて出せるはずもなし。
これは役所やイスラム団体が丁寧に説明して、住民の理解を得るしかない。
浜松駅の近くで行われたインドネシアのミュージシャンによる音楽フェスでは、イスラム教徒のための簡単な礼拝所が設置されてた。
いまの日本でイスラム教徒はもう身近な存在だ。
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