12月2日は「奴隷制度廃止国際デー」(International Day for the Abolition of Slavery)という国連が制定した国際デー。
1949年のこの日に国連総会で、「人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が採択されたことを記念してこの日が制定されたとか。
そしてきょう、日刊サイゾーにこんな記事を発見。(2021/02/14)
ポルトガル商人に毎年1000人が海外へ売られた!『大航海時代の日本人奴隷』著者が踏み込んだキリシタン史のタブー
ということでこれから、『日本人奴隷』というダークな歴史について書いていこうか。
『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』(中公選書)の著者である東大の准教授・岡美穂子氏が戦国時代(ヨーロッパでは大航海時代)に、日本へやってきたポルトガル商人によって、多くの日本人が奴隷として海外へ運ばれて売られていたと話す。
資料が限られているから正確な全体像は不明ながらも、岡氏はその数をこう推測する。
最低1隻の大型船で1000人くらい、つまり10年なら1万人ですから、多くの人が想像しているよりも日本人奴隷はたくさんいたといえるのではないでしょうか。
この記事にネットの反応は?
・えっ?日本人も奴隷として海外に売られてたの?
・遣欧使節団が海外のいたる所で
日本人奴隷が沢山いてビックリしたって日記残してる
・日本の歴史教科者の書き換えが進んでいるが、こういう大事なことを載せようとしないからな
・こういうタブーに切り込んだ方が
歴史は良く理解できる気がする
・今の価値観で江戸時代以前を語る愚かさ
あったり前のことだけど、21世紀の価値観で16世紀に生きた人たちを裁いてはいけない。
歴史は知ることに意義があるのだから、たたくのは他の対象にすべし。
当時の日本では法によって奴隷の存在は認められてなく、奴隷制度もなかった。
でもそれは大名が治める領地内のこと。
それが『他人』なら、人間が売買の対象になることはあった。
大名が他国と戦争するとき、動員した農民兵には食べ物ぐらいしか与えていなかったから、その国で人や物を奪うことは許されていた。
このへんが現代の価値観で判断してはいけないところで、そんな『戦利品』が認められていなかったら、戦争に参加する兵士は激減していたはずだ。
くわしいことはここをクリック。
戦場付近の村を襲い、農作物を根こそぎ奪い、農民をさらい売り払うか奴隷にするかした。人身売買の相場は、通常2貫文(約30万円)であったが、大量に乱取りが行われる戦の直後は25文(約4千円)に急落した。
ただこれは、敵兵の命を奪えば褒められるという価値観が逆転した世界での話。
戦争と離れたふだんの生活で人間の売買が行われていたわけではないし、それを専門に扱う業者なんて存在しなかった。
そもそも戦国時代が異常な時代で、それがはじまる前、鎌倉時代には人身売買が厳禁されていたのだ。
国内においては、鎌倉幕府や朝廷は、人身売買や勾引行為に対して、顔面に焼印を押す拷問刑を課したこともあった。
この価値観の反対側にいたのが大航海時代のヨーロッパ人。
反対者もいたと思うけど、人を奴隷にして売買の対象にすることはヨーロッパでは社会的に認められていたから、戦争に関係なく人が『商品』として扱われていた。
ただ、『買った』ポルトガル商人がいるということは、『売った』日本人がいたということでもある。
先ほどの乱取りによって連れてこられた日本人が、こうしたヨーロッパの商人に売られていたと考えられている。
この奴隷貿易が乱取りを助長させた面はあるだろう。
岡氏はこう話す。
そういう形で人をさらっても黙認されている状況がある中で、ポルトガル人という買い手が現れたという話なんですね。
そんな状況を変えたのが、天下を統一したあとの豊臣秀吉。
秀吉は戦国時代には常識的だった乱取りを認めず、戦場における人の略奪や人身売買を禁止した。
もともとこれは農民を戦争に参加させるための『ご褒美』という面が大きかったから、戦いのない日本では必要なかったし、むしろ平和な時代にこういう蛮行はジャマだったのだろう。
といっても朝鮮出兵で連れてきた捕虜の朝鮮人をポルトガル商人に売るのは認めていたから、このへんは乱取りの影響や戦争の常識がまだ残っていたのでは。
こうした戦争捕虜を別にすれば、日本では人をどこかへ運んで売る行為が日常的に行われることはなかった。
秀吉がキリスト教の布教を禁止した大きな理由に、ヨーロッパ人による奴隷貿易や日本人奴隷の存在を許せなかったことがある。
大唐、南蛮、高麗江日本仁を売遣侯事曲事、付、日本ニおゐて人の売買停止の事。
(中国、南蛮、朝鮮半島に日本人を売ることはけしからんことである。そこで、日本では人の売買を禁止する)
奴隷制度を認めていたヨーロッパ人と日本人では、価値観が根本的に合わなかった部分もあったはず。
バテレン追放令はその象徴的な事例。
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日本社会に奴隷制度が定着しなかった理由として、一つには、異民族の流入・集団形成がほとんどなかったことと、もう一つには、「武家政権の誕生」があったのではないでしょうか。
元々古代の大和政権の頃には、「生口」「奴婢」といった奴隷を意味する用語が、中国・朝鮮を相手にした外交文書や記録などには結構出てきます。しかしながら、大和王朝と貴族たちの政権を倒して成立した「武士」の政権は、元々、貴族たちに農作業担当や農地管理を任されていた者たちが「武士」として独立することで生じたものです。つまり、元々は「奴隷」のように使役される立場にあった者たちが、生産活動の実力をつけ、独自に管理する能力までつけて、世の中をひっくり返したのです。
そもそも貴族たちが武士たちに世の中をひっくり返されたのも、自分たちが、ちゃんと(奴隷を含む)働き手たちの管理をしなかったからです。支配の手抜きというか、人任せ状態からの油断でしょうね。
欧米じゃこうはなかなか行きません。ヨーロッパ人の植民地経営のあり方とか見るにつけても、彼らは「他者集団を支配する」ことがどういうことかよく分かっています。とても日本人の及ぶところではありません。