お盆(休み)が3日前に終わってしまって、次のお盆まであと362日になった。
お盆は日本の祖霊信仰と仏教がミックスした伝統行事で、地方や仏教の宗派によって時期ややり方は違うけど、一般的には8月13日~16日の4日間、ご先祖の霊と一緒に過ごすことになる。
ただ、8月1日は「釜蓋朔日(かまぶたのついたち)」といって、地獄(あの世)の釜のフタが「パかっ」と、または「ゴゴゴ…」と開いてご先祖の霊がこの世にやってくるから、お盆そのものは1日から始まっているのだ。
死の世界を出て子孫の家までたどり着くのに2週間ほどかかるのは、それだけ距離が離れているということらしい。
先祖の霊を迎えるための盆提灯
亡くなった祖父母や両親などと、できるだけ長く一緒に過ごしたい。
そんな願いから、お盆には死者の霊が馬に乗って早く家に来て、あの世へは牛に乗ってゆっくり戻ることをイメージして、それぞれキュウリとナスで「精霊馬」をつくる。
外国人に精霊馬の話をすると、そんな日本人の発想や乗り物の形が白人・黒人・アジア人、キリスト教徒・イスラム教徒・ヒンドゥー教徒といった人種や宗教を超えて、「それはおもしろい」「カワイイっ」と好評だ。
お盆の精霊馬(快速) pic.twitter.com/ctWzfFjXUx
— 五十嵐 剛造(🍈味) (@Igarashi_gozo) August 10, 2021
亡くなった人の霊をこの世にお迎えし、一緒に過ごした後、またあの世に帰っていただく。
そんな日本の「お盆」みたいな文化や風習は海外にもあるのだろうか?
ことしの夏、いろんな外国人にそのことを聞いてみたから、今回はイスラム教の考え方を紹介しよう。
話をしてくれたのは、日本の大学に通うトルコ人とバングラデシュ人のムスリム(イスラム教徒)さん。
同じムスリムでも信仰の強さというか根性が違っていて、「日本の夏は蒸し暑いからラマダンの断食は無理デス…」と言うトルコ人はややヘタレで、どんな暑さにも湿度にも負けず、毎年断食をやり通すバングラデシュ人には強い“イスラム魂”を感じた。
*いま地球上にイスラム教徒は約20億人いて、人類の25%ほどを占めている。
これから書く内容は2人のイスラム教徒から聞いた話だから、すべての人がコレと同じ考えをもっているわけではない。
日本人とイスラム教徒の人間観の違いで、彼らが一致したのは死生観。
死んだら次の世界に生まれ変わり、それを繰り返す輪廻転生の考え方がイスラム教には一切なく、すべてはアッラーの意思による。
イスラム・ユダヤ・キリスト教の一神教では、ヒトは神によってつくられたと考えられていて、被造物である人間は絶対的な存在である神の思いのままにある。
いつ生まれてどうやって死ぬのかは、イスラム教の場合はアッラーによって決められていて、ヒトはその定めに異議を唱えることはできない。
*ゴッドやアッラーと呼び方が違うだけで、イスラム・ユダヤ・キリスト教徒は同じ神を信じている。
死者がこの世に戻ってくることも、アッラーがそう望めば可能だけど、聖書クルアーン(コーラン)にそんな記述はない。
だから、日本のお盆のような発想は反イスラム的になってしまうからNG。
バングラデシュ人はご先祖の霊であっても、供物をささげて手を合わせると“神”のようになってしまうから、それもダメだと言う。
ではヒトが死んだ後、イスラム教ではその魂(霊)はどこへ行くことになっているのか?
それは土葬されたお墓の中にあって、これも神の意思でいつか復活し、アッラーの裁きを受けて天国や地獄に行くと彼らは話す。
だから日本でよく言われる、フタが開くと死者の霊が出てくるような「死後の世界」は無くて、イスラム教の考えでは霊もこの世にとどまっているようだ。
2人の話をまとめると、死者の霊は復活の日までお墓の中にあるから、特定の時期になると、そこから移動して子孫の家に戻ってくることはない。
そんな記述はアッラーの意思を伝えるクルアーンにはないから。
ということで、お盆はイスラム教に反する考え方だから、そんな行事なんてあるわけない。
ただ、命日になるとお墓に行って死者をなつかしんだり、話しかけることはあるという。
これは基本的に日本のお墓参りと同じで、亡くなった人を思い出すことはイスラム教でも大切にんされているらしい。
やり方が違うだけで、こういう思いは人類共通だ。
イギリスBBCによると、イスラム教徒の多くはこの世にいる時間は短くて、その間に、死後の永遠の命のために準備をするべきだと信じている。彼らは現世を試練と考えていて、できるだけ多くの善行を積み、イスラム教の義務も果たして天国へ行くことを願っている。
Many Muslims believe that they are on this earth for a relatively short time and during this time they are preparing themselves for eternal life after death. They view this life as a test and try to do as many good deeds as they can.
死生観が根本的に違うから、イスラム教でお盆なんて発想はあり得ない。
興味のある人は「イスラームにおける来世」も参照されたし。
反論できる?「日本人が、外国人の日本料理をインチキと言うな!」
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