8月21日は 女子大生の日。
1913年のこの日、東北帝国大学(東北大学)に3名の女性が合格し、日本最高峰だった帝国大学に初めて女子学生が誕生したことからこの記念日が爆誕。
そのうちの1人が日本初の女性化学者となった黒田チカだ。
ちなみに、1901年4月20日に日本初の女子大学・日本女子大学校が開校したことから、この日は「女子大の日」になっている。
日本では江戸時代から女子にも教育を受ける機会があって、寺子屋で「読み・書き・そろばん」を学んでいた。
明治時代になると、すべての国民に教育を受けさせようと1872年に学制が実施されて、女児も小学校に通うようになる。
ただ大学レベルの高等教育になると話は別で、女性にその道は閉ざされていたのを1900年ごろからこじ開けていった。(女子教育)
さて、ここからの話は隣国さん。
いま「戦後最悪」と言われるほど、関係がこじれてしまった韓国さんだ。
その原因となった元徴用工問題について、左派のハンギョレ新聞が最近こんな社説を載せた。(2022-07-17)
韓日外相会談、「加害者の謝罪」を入れた解決法を模索せよ
歴史において日本は「加害者」で韓国はその「被害者」だから、自分たちは謝罪を求める立場でにある。これは韓国では一般的な見方だ。
だが待ってほしい。
この問題は1965年の日韓請求権協定で、韓国政府が「完全かつ最終的に解決された」と確認したことで、日本との間ではすでに解決済みだ。
ハンギョレ新聞はこの事実を無視して、日本の加害性と自国の被害性を全面的にアピールする。
こんな認識が生み出されることには、なんといっても韓国でおこなわれている歴史教育の影響がデカい。
1909年におきた安重根の伊藤博文暗殺、韓国の首相・李完用(りかんよう)襲撃事件がきっかけとなり、1910年に併合条約を結んで日本は45年の終戦まで韓国を統治することになる。
この期間は日本帝国(主義)に強制占領されていたという意味で、韓国では「日帝強占期」と呼ぶのが一般的だ。
その期間について韓国の高校生用の歴史教科書(「韓国の歴史」 明石書店)にはこう書いてある。
「日帝は世界史で類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法でわが民族を抑圧、収奪した。これによってわが民族は生存権まで脅威にさらされた」
「植民政策を強化し、わが民族をさらに弾圧し、あらゆる分野にわたって植民地収奪政策を強化した。」
韓国の人たちを弾圧し、あらゆる分野からいろんなモノを奪い、世界史的にも最悪レベルの植民地政策を日本はしていた。
そんな見方が「加害者の謝罪」につながる。
たくさんの市民でにぎわう釜山のビーチ
「生存権まで脅威にさらされた」とは別世界が広がっている。
ここでクエスチョン。
韓国にあるこの建物はなんだろう?
答えは韓国初の女子大・梨花(イファ)女子大学だ。
韓国ではだれでも知ってるような超名門校で、韓国の女性教育をずっとリードしてきた。
ちなみに「イファ」の発音が中国語の「利発(お金を稼ぐ)」と発音と似ていて、縁起が良いということで観光名所となって、正門で写真を撮る中国人観光客がよくいた。
大学のホームページにある「History of Ewha」(梨花の歴史)を見ると、1910年に大学科が設置されたことで、「1910 – 1925年に女性高等教育の新しい時代が開かれる(College courses open doors to women’s higher education 1910-1925)」とある。
これは以前、ホームページに掲載されていた説明のキャプチャー
1910年に女性教育の新しい時代を切り拓(ひら)いたのか。
なるほどそれは素晴らしい。
でも待ってほしい。
その年はまさに、韓国が日本に併合された年なんだが。
韓国で言う「日帝強占期」が始まった年、「世界史で類例を見出せないほど徹底した悪辣な方法でわが民族を抑圧、収奪した」という地獄の扉が開いた時なのに、なんで「女性高等教育の扉を開いた時代」になるのか?
韓国のいろいろな文を読んでいると、こんな感じにつじつまの合わないことがけっこうある。
たしかに花はドンドン大きくなっている。
もちろんこれに日本統治時代のことだ。
当時の梨花が日本を無視して、大学科を設置できたとは到底思えない。
韓国より先に女性教育を積極的に推進していた日本が、朝鮮半島でも同じ方針を当てはめて、大学科の設置を認可したのだろう。
統治時代に「女性高等教育の新しい時代」が開かれたことの理由には、日本の後押しがあったとしか考えられない。
でも、「日本=加害者、韓国=被害者」の関係が固定化されていて、自分たちは謝罪を求める立場であるという韓国の歴史認識・対日観からすると、絶対にそれを認めることはできない。
梨花女子大で5年前にあったコレも、そんな考え方とリンクしている。
ハンギョレ新聞(2017-04-06)
梨花女子大の学生ら、「初代総長」の親日附逆活動を自ら知らせる運動を展開
初代総長である金活蘭(キム・ファルラン)は日本に協力的で、「民族を裏切った人」と非難する学生グループが校内に設置されている銅像を撤去しようとした。
でも、たぶん大学側がイヤがってそれができずにいたから、キム総長が過去にした「親日附逆行為」(韓民族に対する裏切り行為)を立札に列挙し、それを銅像に前に立てて多くの人に伝えるつもりだと学生が強調する。
キム・ファルランの銅像は「梨花女子大学に残っている親日附逆の跡であり、私たちの手で清算しなければならない課題」というのがこのグループの考えだ。
でも、100年前にはその時代の常識や価値観があって、キム総長もそうした環境で女性教育の新しい時代を切り拓いていったはず。
それを今になって「民族を裏切った人」と切り捨てるのも、日本に対する韓国の認識のひとつを表している。
日本統治下、朝鮮半島では1924年に京城帝国大学が、本土の大阪帝国大学や名古屋帝国大学よりも先に設立された。
そんな当時の教育事情について知りたかったら、ここをクリックするですよ。
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