7世紀のはじめ、アラビア半島でムハンマドという預言者が神の言葉を聞き、それを人々へ伝えたことでイスラム教が始まった。
それから時代は流れて21世紀のいま、人類の約25%を占めるほどイスラム教は広がっている。
ちなみに聖徳太子はムハンマドと同時代の人物がだから、日本で仏教が広まったころ、アラビア半島ではイスラム教が広がったことになる。
神の言葉を告げる天使ジブリールと、座ってそれを聞くムハンマド
令和の日本では、少なくとも浜松では市内でイスラム教徒をよく見るようになった。
そんなムスリムで日本文化に興味があるという女性がいて、茶道を紹介したら興味津々だったんで、彼女と友人を島田市にあるお茶の博物館(ふじのくに茶の都ミュージアム)へ連れて行くことにした。
イスラム教徒を表すアラビア語のムスリムとは、本来は「アッラー(神)へ帰依した者」という意味。
だからムスリムである以上、彼らはアッラーの教えを絶対に守らないといけない。…はずなんだが、日本にはお酒を飲んだり、まれに豚肉を食べるイスラム教徒もいる。
1日に5回、聖地メッカに向かって礼拝をしないといけないとか、ムスリムと一般的な日本人では価値観や考え方がかなり違う。
といっても、出されたお茶をいただく茶道では、さすがにイスラムの教えに反するタブーはない。
って、思うじゃないですか?
髪を隠すヒジャブをつけているムスリムの女性
以前見たテレビ番組で、多くの外国人を相手にしてきた茶道の先生が話をしていて、日本人との価値観の違いに触れてすごく驚いたことがあると言う。
あるイスラム教徒が、それは神への礼拝行為になるという理由でお辞儀を拒否した。
「神へ帰依した者」として絶対に譲れない一線があるらしい。
日本人が海外でイスラム教徒に、柔道を教えていた時にもそんなことがあった。
相手に向かって頭を下げる行為について、そのムスリムは「礼はイスラムの神にしか行ってはいけない」と拒否する。
違うのだよ価値観が。イスラム教徒が“柔道の礼”を拒否するワケ
床に両手・両膝をつけて頭を深く下げる日本のお辞儀と、イスラム教の礼拝は見た目はソックリだ。
でも、お辞儀は相手への敬意や自身の謙虚さを示す日本の文化やマナーで、平服してアッラーに最上級の尊敬を示す宗教行為とはまったく目的が違う。
上の柔道の場合はそんな説明を聞いて、これは文化行為だと納得することで、「ノー」と言っていたイスラム教徒もお辞儀をするようになった。
茶道の場合は「おもてなし」が基本だから、相手の嫌がることを無理強いすることはなく、先生だけがお辞儀をしたという。
そんなことで、茶道体験に連れていくバングラデシュ人のイスラム教徒にメールで聞いてみたところ、こんな返事がリターン。
「Bowing is okay as long as it’s just greetings each other 🙂 So, no problem from my side.」
あいさつ程度であればお辞儀はOKで私のほうは問題なし、と。
トルコ人のイスラム教徒に聞いても同じように、これは神には関係のない日本の文化だからと問題視せず。
茶道体験でのお辞儀を「宗教行為」と判断して、拒否するイスラム教徒はかなりの例外と思われる。
ただ、いまの日本は世界にドアを開けているから、これからたくさんの外国人がやってくることはまず間違いない。
日本人が外国人と付き合うことが増えたから、茶道や柔道のお辞儀について、まったく違った見方をするイスラム教徒もいることを知っておこう。
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