江戸時代の会津藩には「什(じゅう)」という教育組織があって、そこでは、守らないといけない「什の掟(おきて)」が定められていた。
最初のオキテは「年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ」で、その次は「年長者には御辞儀をしなければなりませぬ」というもの。
「不変流行」でどんなに時代が流れても、変化しないコトがある。
頭を下げることで、自分の謙虚さや相手への敬意を示す日本人の礼儀や価値観は変わらない。
でも文化が変わると、見方も別のモノになる。
茶道や柔道で相手に頭を下げるのを見て、「礼はアッラー(神)にだけするもの」という理由で拒否するイスラム教徒もいた。
では、アメリカ人は「お辞儀」をどう思うのか?
まずは2009年にオバマ大統領の来日して、天皇陛下と会った時の映像を見てもらう。
「彼ぐらいリッパな人間になると、他人に対してますます謙虚になるのサ」と、『実るほど 頭を垂れる稲穂かな』みたいは日本人的発想をするアメリカ人はまずいない。
この姿を見たアメリカ国民は幻滅し、「オイオイ、彼は頭を下げすぎだろ」、「あれではアメリカをおとしめることになる」といった批判が相次いでちょっとした炎上騒ぎになる。
対して大統領側は、あれは日本の慣習を守っただけと反論。
むしろ自分の品格を高めるお辞儀も、価値観や文化の違う人からは自分を卑下している、卑屈になっていると思われることもある。
国を代表する人間の振る舞いだと、もう個人の問題では済まなくなる。
天皇陛下に深い敬意を示してくれるのはうれしいけど、腰を90度にまで曲げる必要はなかったような?
日本式のあいさつを見て、はじめは「怒り」を感じたけれど、後から意味を知って感動したアメリカ人がいる。
カルフォルニア州のベテラン議員は子供のころ、祖父母が東京の米軍基地で働いてたから、夏休みに日本へ行ってしばらく滞在したことがある。
その時、おばあさんが周りの人にお辞儀しているのを見て彼はショックを受けた。
というのは、その少年(議員)は人種差別のあったアメリカ南部で生活したことがあって、「黒人だから頭を下げているのか?差別か?」と怒りを感じから。
でも、後から相手に敬意を示す仕草だと分かって、日米の習慣の違いを知って感動したという。
ソースはFNNプライムオンラインの記事(2022/08/27)
未来を担うアフリカ系アメリカ人たちの目に日本はどう映ったのか…LAと日本をつなぐカケハシ・プロジェクト
お辞儀を見て、差別と結びつく発想はアメリカ人らしい。
アメリカ人が日本人のお辞儀を見て、スタンディングオベーションをしたこともある。
2021年に世界的に有名なにゴルフの大会(マスターズ)で、松山英樹選手がアジア人として初めて優勝する快挙を成しとげた。
優勝が決まった瞬間、キャディの早藤将太さんは感謝の気持ちでいっぱいになって、マスターズへの敬意をしめすために、心の中で「ありがとうございました」と言いながら帽子を取って深々と頭を下げた。
この態度がアメリカ人の心をぶち抜く。
各メディアが記事で取り上げると、こんな称賛コメントが洪水のように寄せられた。
「Heartwarming sign of dignity and respect. We need more of this in the world.」
(尊厳と敬意のある心温まる態度だ。世界にはもっとこのようなことが必要だね。)
日本人のゴルファーやキャディーには満足のいくラウンドができると、「ありがとう」とコースに一礼する人がめずらしくないという。
くわしいことはこの記事を。
国民の代表といった特別な立場でもなければ、日本式のお辞儀の精神はアメリカ人に受け入れられるようだ。
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