実際の歴史には「タラレバ定食」なんて無いけど、「歴史のif」から始まる物語もある。
日清戦争で日本が勝利すると、1895年の講和条約(下関条約)で日本は清から、中国東北部にある旅順・大連をふくむ遼東(りょうとう、リャオトン)半島をゲット。
でも、日本の影響力が強くなることを露仏独が嫌がって、三国干渉で日本に迫りこの地を清に返還させる。
その後、旅順・大連はロシアが美味しくいただきました。(租借権を得て支配下に置いた)
現実の歴史はこんな感じ。
でも下関条約がいまも有効で、遼東半島が日本領だったとしたら?
21世紀の日本にそんな海外領土や飛び地があって、日本人が自由に行き来できたとしても、中国は絶対にそれを認めないだろうし、これはもう小説の世界の話になる。
イベリア半島の南部にあるジブラルタルは、スペインとイギリスにとってそんな複雑な場所だ。
この巨大な岩山「ジブラルタ・ロック」にちなんで(安心と信頼の象徴らしい)、ジブラルタ生命の名が誕生した。
次のスペイン王になるのは一体誰か?
それをめぐって1701年に、フランス・スペイン・ドイツ(神聖ローマ帝国)・イギリスなどヨーロッパ諸国の間で戦争がぼっ発する。
このスペイン継承戦争は、1713年にユトレヒト条約を結んでとりあえず終了し、この条約によってイギリスはスペインからジブラルタルの地をゲットした。
ここは軍事的にも海上交通のうえでも重要なところだから、その点でも遼東半島とよく似ている。
領土を奪われたままで、スペインが黙っていられるワケない。
1700年代に3度にわたる包囲戦をしかけるもすべて失敗し、その後のイギリスとの外交交渉も失敗に終わる。
それでも国家にとって領土はプライドの一部でもあるから、あきらめることはできない。
ジブラルタルの運命を決めるのはジブラルタルの人たちだ、というのはヨーロッパでは常識的な発想だ。
ということで1967年のきょう9月10日、このままイギリス領でいるか、それとも300年ぶりにスペイン領に戻るかを問う住民投票が行われた。
結果、「12138 対 44」という話にならない大差で、ジブラルタルの住民はイギリスを選ぶ。
それでも、まだ断念できないスペインはいまでも返還を要求しているが、「アーアーきこえなーい」とイギリスは相手にしていない模様。
そんなことで1713年のユトレヒト条約から現在まで、ジブラルタルはヨーロッパに残る最後の「植民地」という独自の存在感を示しているのだ。
まえにスペイン人と話をしていて、ジブラルタルにそんな複雑な歴史があることを初めて知った。
首都マドリードに住む彼女は、普段は何とも思っていないしイギリスは好き。
でも、何かのタイミングでジブラルタルを意識すると、「そういえばイギリスめ…」と瞬間的にムカッとくるらしい。
遼東半島を失った日本は大正解だった。
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