先日の「敬老の日」に書こうと思ったけど、この日はお年寄りに感謝やいたわりの気持ちを伝える日だから、記事にするのは止めといた。
いや、棄老(きろう)のことですよ。
何らかの事情があって老人の命を奪ったり、絶命する状態に放置することをこう言う。
そんな棄老は敬老の反対側にある闇すぎる内容だから、その日はスキップして今回、日本とインドにあったそんな悲しい風習を書いていこうと。
「時代ガチャ」で大当たりを引いて、現代の日本に生まれた人は運がいい。
大昔、家族全員が生きるために必要な食べ物を確保できない家では、お年寄りが自分の命と引き換えに、子供たちに命を譲らないといけないこともあった。
いまでも緊急事態になったら、そんな残酷な選択を迫られる可能性はある。
例えば海難事故で10人乗りのボートに、すでに10人乗っていたとする。
助けを求める人たちが海面から顔を出していても、1人でも乗せればボートは沈み、全員が死ぬことになる。
だから、そのまま全員を見捨てて移動するか、自分が降りて誰かを代わりに乗せるかの二択しかない。
この場合は海にいる全員を見捨てても、罪に問われることはない。
すべてを救ってくれるミラクルヒーローがいなければ、これは仕方ないのだ。
日本では口減らしのために老人を捨てる風習があって、『日本国語大辞典』の解説には、
「昔、食物の不足を解消する方法として、老人を山中などに捨てることがあった。」
と断定的に書いてある。
年老いた親を背負って山に登って、そこに置き去りにする「姥捨て」の話は有名だ。(上の絵)
この風習が記された公的な記録は無いが、そういう民間伝承や地名は日本各地に残っているし、そんな絶望的な状況は確実にあったから、子供のために道を譲る老人がいたことは想像できる。
棄老伝説を基に小説「楢山節考」は生まれた。
辛くてもそれが貧しい村の掟だった。途中、白骨遺体や、それを啄ばむカラスの多さに驚きながら進み、辰平は母を山に置いた。
最期にお餅を好きなだけ食べさせて、“自発的に”のどに詰まらせて、窒息死させるということが東北で行われていたという。
88歳になる老人がその習慣について話しているから、興味のある人はこの記事をどうぞ。
インド南部では「タライコータル」という、老人による自殺行為があった。
(ひょっとしたら、いまもかも)
老人が早朝に大量の油のお風呂につかり、その後、柔らかいココナッツの水を飲まさせると、腎不全、高熱、発作を起こして1日か2日で死亡する。
このやり方では心不全を引き起こすために、冷水で頭をマッサージして体温を下げることもあるという。
Typically, the person is given an extensive oil-bath early in the morning and subsequently made to drink glasses of tender coconut water which results in kidney failure, high fever, fits, and death within a day or two.This technique may also involve a head massage with cold water, which may lower body temperature sufficiently to cause heart failure.
他にも牛乳で鼻を詰まらせて窒息させたり、毒物を使用することもある。
年老いた親を殺す「サライコータール」の習慣は、もちろんインドの違憲で禁止されているし、これは許されない違法行為だ。
日本とインドに棄老という同じ発想があってもココナッツや牛乳、お餅を使うというやり方はそれぞれの文化の違いをよく表している。
こういう風習があったと文字で知る人は、それだけで当たりくじを引いて生まれてきた人だ。
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