閲覧大丈夫!中国の歴史に見る「食人」、5つのパターン

 

中国の三国志には、劉安という人物が劉備玄徳に自分の妻の肉を食べさせるというショッキングな場面がある。
その影響があるせいか日本では、「中国には人肉食の文化がある」と思っている人がけっこう多いらしい。

 

*三国志のことはこの記事を。

【本当は怖い三国志】劉備の「人肉食」を中国人はどう思う?

 

とそんなことを書いているボクも、中国にはそういう”文化”があると思っていた。
でも、三国志で劉備が人の肉を食べたという話を中国人しても誰も知らない。
「本当ですか!」と驚く中国人にこっちが「あれ?」と拍子抜け。
食人が”文化”という話には、すべての中国人が「そんなわけないじゃないですか!」と全力否定する。
結論からいえば中国にそんな文化はなく、あれはボクの偏見だったと反省。
中国の歴史は奥深くて何でもあるから、そんな文化もあるかもしれないと勝手に思いこんでいた。

 

でも中国の歴史上、人肉の提供を”美徳”と考えていた時代はあった。
日本の遣唐使がお世話になっていた唐の時代から、中国では人肉を食べることへの抵抗感が減ったといわれ、「資治通鑑」には人肉の市場価格が暴落したという記録がある。
また元の時代になると、社会的にこんな価値観が広がった。

自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。

カニバリズム・中国

劉備に妻の肉を提供したという劉安の話を思い出さずにはいられない。

 

日本人は中国から仏教・漢字・都市設計などいろいろなことを学んだけど、これは例外だったようで、評論家の小室直樹氏は、食人・纏足・科挙の三つを日本人は全く理解できなかったと書いている。

*韓国(朝鮮)は地理的に中国から近いこともあって、中国の影響は日本より強い。
そのせいだろうけど韓国には、日本にはない中国の凌遅刑(りょうちけい)が行われていた。
くわしいことはこの記事をどうぞ。

日本人が嫌う韓国の考え方:裏切り者(親日)は死体も許さない。

 

さて下の人物は、戦前の日本を代表する東洋史学者、桑原 隲蔵(くわばら じつぞう:明治3年 – 昭和6年)。

桑原は中国史の権威だった。

東洋史教育の創成に尽力、東西交渉史等の分野で優れた業績を残した。清国留学中に一次資料を写真に記録、帰国後、京都帝国大学に赴任すると内藤湖南・狩野直喜とともに京都派東洋史学を確立。(中略)1898年に出版された著書『中等東洋史』は、東洋史教科書の定番となった。

桑原隲蔵

 

桑原は著書「支那人の食人肉風習」の中で、中国でこの風習があったことは疑いの余地はないと指摘する。
*「支那」は中国のこと。でも、いまこの言葉は侮辱語になるからNG。

中国の歴上、人肉食には次の5つのパターンがあったという。

1、飢餓のため

凶作で食べ物がなくなると、世界は「弱肉強食」になる。
親が子供の肉を食べたり、市場に人肉が売られるという地獄が現れる。

2、兵糧攻めのため

唐の時代、敵に囲まれて食べ物がなくなったときに、妻や従者を殺してその肉を食べたという事例がある。
そのあとはこうなった。
*事實は事実

城中の婦人を、最後に戰鬪に堪へ得ざる老弱の男子を糧食に供したことは、有名なる話であるが、かかる事實は支那では寧ろ普通の出來事かと思ふ。

「支那人の食人肉風習 (桑原 隲蔵)」

*以下、引用はすべて「支那人の食人肉風習 (桑原 隲蔵)」から。

 

3、嗜好のため

中国の歴史には人肉が好きな人間がいて、それを食したという記録がある。
でもこれは個人的なものでその例も少ない。

4、憎悪のため

ある人物への憎悪が極限まで高まると、その死肉を食べることがある。
*肉體は肉体

支那人は死後も肉體の保存を必要と信じ、その肉を食へば、之に由つて死者に多大の苦痛を與へ得るものと信じて居る。

 

5、薬として

唐の時代の「本草拾遺」という薬の本に人肉が薬材にくわえられてから、人肉を薬として食べる考え方が広がった。

宋・元以來、父母や舅姑の病氣の場合、その子たり又はその嫁たる者が、自己の肉を割き、藥餌として之を進めることが、殆ど一種の流行となつた。

 

ということで中国の歴史では、飢餓・兵糧攻め・嗜好・憎悪・薬といった5つのパターンで食人があったことは間違いない。
でもそれはそういう考え方があったということで、長い期間、一般的に広く行われていたわけではないから、「中国文化」というのは言い過ぎだろう。
少なくとも現代の中国にそんな文化はない。

特に「飢餓や兵糧攻めで食べ物がなくなったときに人の肉を食べた」という事例はヨーロッパや日本の歴史でもある。
太平洋戦争中、日本軍もこんなことをしたのだから。

極度の飢餓から軍の統制は崩壊し、各々食糧を求めて彷徨ううちに時に畑の芋を巡って争い、一部に人肉食に至るなどしたという。

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「憎悪」や「薬」なら、考え方としては”文化”に近いものがある。

 

 

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4 件のコメント

  • 日本における人肉食の最もよく知られた例は、豊臣秀吉が鳥取城を兵糧攻めを仕掛けた時のことだと思います。当時の記録もあるし、近代になってからの時代小説にも度々登場する有名な出来事です。

  • 飢餓の苦しみというのは当事者でないと絶対わからないようなものだそうです。
    だから、そういう状況になった人を責められません。
    個人の嗜好でそれをされると引きますけどね。

  • 支那は中国の蔑称ではありません。そもそもCainaはシナの英語読みです。世界中の国がシナ又はそれに近い発音で呼んでます。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。