日本と韓国は中国からいろいろな影響を受けている。
日本も韓国も遣隋使や遣唐使をおくって、中国から学んでいた。
漢字を使ったり漢字2文字の地名が多かったりするのも、中国の影響だ。
とはいえ、日本と韓国にはちがいも多い。
天皇と将軍が同時に存在するという朝幕併存なんて政治体制は、韓国や中国の歴史にはない。
それと、日本には「死者に鞭(むち)打つ」という考え方がほとんどがない。
産経抄(2014.2.7)にはこう書いてある。
同時に日本では、死者に鞭(むち)打つのは恥ずべき行為とされてきた。命日に追悼するのは、日本の誇るべき文化のひとつである。
日本人はこの考え方や行為を嫌う。
「死者(死屍)に鞭打つ」という話は、中国の古典「史記」にのっている。
今からおよそ2500年前のこと。
伍子胥(ご‐ししょ)という人が楚の国の平王に父と兄を殺されてしまう。
その後、その仇(かたき)をうつため死者の無念を晴らすため、すでに死体となって埋められていた平王の墓をあばき、その死体にムチを打った。
この故事から、今では「死んだ人の生前の言行を非難したり攻撃したりする(大辞林 第三版の解説)」という意味で使われる。
日本でも匿名の書きこみで死者を非難することはある。
でも、韓国の金玉均(1851年 – 1894年)のように、「死体になっても体を切り刻まれる」という具体的な行為は聞いたことがない。
韓国の場合、政府がこれを命じている。
金玉均の遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれて凌遅刑に処されたうえでバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された。
「ウィキペディア」
日本の歴史でも、死体を傷つけることは、個人ではあったかもしれない。
でも、国がおこなったことはなかっただろう。
ネットを見ても、日本で凌遅刑(りょうちけい)がおこなわれたという記録がない。
このへんも、韓国や中国と日本は考え方がちがう。
日本にいたころの金玉均(ウィキペディアから)
金玉均
キム=オッキュン。
朝鮮王朝(李朝)の開化派政治家として活躍、独立党を指導した。1872年に科挙試験に合格して官僚となり、1881年、82年に日本を訪問、日本にならって改革を進めることを決意した。「世界史の窓」
この改革はうまくいかず、金玉均は朝鮮政府から命をねらわれる。
そして1894年、上海で暗殺された。
金玉均の墓は東京都港区の青山霊園にある(ウィキペディアから)。
韓国にあったら、墓をあばかれていたかもしれない。
韓国にとって最大の屈辱は、日本に植民地支配されたこと。
日本が韓国を保護国にした1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)について、韓国の歴史教科書ではこう書いてある。
この条約がまさに大韓帝国の外交権を強奪した乙巳条約で、主権を日本に譲り渡すことに賛成したのは、李完用をはじめ、(中略)民衆は彼らを乙巳五賊と呼んだ。
日帝は大韓帝国の外交権を奪い、統監府を設置して内政にも奥深く介入した。
少し後には高宗皇帝を強制退位させた後、軍隊を解散させるなど国家権力を掌握しはじめた。「躍動する韓国の歴史 明石書店」
賊とは、「時の政府や国家に反逆する者(デジタル大辞泉)」のこと。
五賊とは「国を裏切った5人の卑劣な人間/売国奴」といった意味になる。
韓国は国や民族を裏切った人間を許さない。
日本の植民地になる前後、日本側に協力していた人間を「親日派」という。
韓国と北朝鮮の2国においては、「親日派」は彼らの主張するところの歴史的経緯から反民族行為者、売国奴などの否定的な意味合いで使用される。
「ウィキペディア」
韓国で「親日派」とは、先ほどの「五賊」と同じで、裏切り者や売国奴のこと。
こうした親日派の人間は、国によって正式に記録されている。
日本統治時代の朝鮮において反民族行為を行ったとみなした人物を親日人名辞典に収録する目的でに整理した資料を言う。
この作業は2005年と2008年におこなわれた。
今では、4776人の親日派がこのリストに収録されている。
これらは国家が認めた売国奴だから、子どもたちが学ぶ歴史教科書で「五賊」と書くのは、韓国の価値観からしたら自然なことだ。
国を守った人間は国民的英雄になっている。
これはソウル中心部にある李舜臣の像。
16世紀、豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、日本軍を破った軍人。
中央日報にこんな記事(2017年10月20日)がある。
親日者に対し、国民の税金で優遇を受ける資格はないという世論が支配的だ。他の独立有功者に対する区分も必要な実情だ。これに対し、彼らを国立墓地ではない別の場所に移葬しなければならないと激しく主張する者もいる。だが、移葬を強制できる法律上の根拠はない状況だ。
新日者が国立墓地に埋められていることについて、ある議員は「過去の歴史清算が不十分だという事実を示す一断面」という見方をしめして、「親日・反民族行為者の国立墓地外への移葬は国民的に同意できる事案ではないかと言える」と言っている。
「親日」という裏切り者に税金をつかうことは適切ではないから、死体を掘り起こして別の場所に移す(移葬)べきだという主張だ。
まあ、これは韓国のことだから韓国が好きに決めたらいい。
日本だったら、これが国民的な合意が得られるだろうか?
日本に埋められた金玉均は”幸せ”だろう。
こんな心配をする必要はなく、静かに眠っていられるのだから。
「死者に鞭(むち)打つ」という考え方を嫌う日本人には、死体を掘り起こして移動させる行為には強い抵抗を感じる。
インターネットには移葬に共感する書きこみはなかった。
・お墓まで暴こうとしてるんだ……
・な、凄いだろ。
・死体を蹴るのが好きだな どうでもいいけど
・日本人には理解できない感覚だけど、韓国人の墓を韓国人がどうしようが勝手なので、どうでも良い。
・親日派のおかけでここまでになれたのになんと罰当たりな
・朝鮮戦争を命懸けで戦った英雄を国賊扱いだからね
1950年に北朝鮮の間ではじまった朝鮮戦争では、約300万人が犠牲となった。
このとき、韓国を守るためにたたかった親日派の人たちもいた。
それでも裏切り者は裏切り者らしい。
ただ、「死者にムチを打つ」ということについて「残酷で野蛮だ!」と単純に考えるのではなくて、日本と韓国の考え方や文化の違いと理解したほうがいい。
韓国人から見たら、理解できない日本人の考え方もきっとある。
原爆投下がそうだけど、「過去に起きたことは水に流して恨まない」ということもその1つかもしれない。
おまけ
日本人の場合、敵であってもその人物が素晴らしい人間だったら、敬意をもって接する。
日清戦争のときには、日本軍と勇敢に戦って負けた清の将軍・左宝貴(さほうき)のために、彼をたたえる碑を建てていた。
イザベラ・バードというイギリス人がそのことに感激している。
将軍が斃れたと思われる地点にはまわりに柵をめぐらした端正な碑が日本人の手で立てられており、その一面にはこう記してある。
奉天師団総指令官左宝貴ここに死す。
またべつの面にはこうも記してある。
平壌にて日本軍と戦うも、戦死。
敗軍の名将に捧げた品位ある賛辞である。
「朝鮮紀行 (イザベラ・バード)」
日本人は敵であっても、死体を蹴とばすような真似はしなかった。
こちらもどうぞ。
韓国の除夜の鐘①ソウルの普信閣・鍾路・明洞の観光(歴史)案内
>日本には「死者に鞭(むち)打つ」という考え方がほとんどがない
とおっしゃいますが、神武天皇軍がエウカシを殺して、その死体を切り刻み、「いい気味だ」といって嘲笑した話をごぞんじないですか。古事記の有名な一節です。
あるいは幕末、薩長軍が会津軍の死者を遺族が収容することを許さず犬に食われるに任せたのも有名な話です。
ゼロではないでしょうね。
でも、やっぱりほとんどありません。
その古事記の話は事実でしょうか?
会津藩の話ですが、この記事が参考になると思いますのでご覧ください。
“半年間、遺体を野ざらし”はなかった? 薩長の「埋葬禁止令」を覆す新史料
「打首獄門」とは日本の刑罰ではなかったのか…。
「打首獄門」は江戸時代にありましたね。
逆に日本は死人に甘過ぎる。だからちゃんとした歴史の総括も碌にできないのだ。