ノルマン・コンクエスト:日本とまるで違う、英王室の始まり

 

このまえイギリス人と話をしてた時、「日本人はDNA検査をしないの?」と質問された。
イングランド出身の彼女がそれをした結果、ノルウェー、ポーランド、フランスなどなどヨーロッパのいろんな地域の人間の血が混じっていることが判明。
一般的に言えばイングランド人の彼女を細かく分析すると、過去に人びとがヨーロッパ大陸をあちこち移動してきた歴史が浮かび上がる。
アメリカやイギリスではDNA検査をして、自分のルーツを探る人はめずらしくないらしい。
でも、彼女がまわりの日本人に聞いてみても、そんなことをした人は誰もいないから、ちょっと不思議に思ったと。
調べてみたら日本でも現在の健康状態や、将来かかる可能性の高い病気を把握するためにDNA検査をする人がいる。
自分の民族的なルーツを知るために、これをする人はかなりレアでは?

さてきょう9月28日は1066年に、ノルマンディー公ギヨームがイングランドに侵入した日だ。
高校世界史の授業で「入れろ、無理やりノルマンへ」で年号と出来事をセットで覚えた記憶。
このへん、人の移動がめちゃ流動的なので整理してみよう。

まず、いまのスウェーデンのあるスカンディナヴィア半島やバルト海沿岸にゲルマン人がいて、その中から、フランス北西部のノルマンディー地方に定住した人たちがノルマン人になる。
そして彼らはノルマンディー公国をつくる。
そのノルマンディー公国の君主であるギヨームが海を越えて、イングランドを征服して(ノルマン・コンクエスト)、「ウィリアム1世」として王になる。
立場としてはフランス国王の臣下で彼はフランス語を話すのに、イングランドの国王になってしまった。
ウェストミンスター寺院で即位したウィリアム1世(=フランス貴族のギヨーム)がノルマン朝を開いて、これが現在につづくイギリス王室の始まりになる。

 

ウィリアム1世

 

こういうコトは日本の歴史じゃ考えられない。

朝鮮半島にいた貴族が軍を率いて玄界灘を越えて攻めてきて、日本を征服して王となった。
日本語を話さないその人物が日本の王室の起源となって、現在まで続いている。

日本なら小説の出来事が11世紀に、「ノルマン・コンクエスト」としてイギリスとフランスとの間であった。
ノルマンディー公国の人間も元をたどれば北欧の出身だから、ヨーロッパは本当に人の移動が激しすぎ。
知人のイングランド人もこういう歴史の延長に生まれた。
こんな流動的な人の動きを前提とするヨーロッパ人の大陸的な発想は、島国の日本人とは根本的に違う気がするのですよ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。