アッティラ vs レオ1世:最強の暴君と伝説的なローマ教皇 

 

日本の歴史であったトップクラスの大ピンチに、モンゴル軍が攻めてきた13世紀の元寇がある。
この時は鎌倉武士の奮闘や暴風雨もあって、敵を撃退して日本を守ることができた。
もしこの時、天皇が九州まで出向いてモンゴル軍のトップと会談をおこない、説得することに成功して、モンゴル軍を日本から去らせたとしたら?
全国民が欣喜雀躍して「天皇マジすげえええー」と改めて見直すレベルを超えて、きっと日本国を守護する永久神になる。

これは歴史の「タラレバ定食」だから、ただの空想でしかない。
でも、中国や高麗を征服した強敵を説き伏せて、未曾有の危機を救ったのなら、天皇の権威が爆上がりすることは間違いない。
440年のきょう9月29日、ローマ教皇になったレオ1世はまさにそんな人物。

 

レオ1世

 

「神の災い」や「神の鞭(ムチ)」と言われて、古代ヨーロッパ人を心の底から震え上がらせたのが5世紀のフン族の王アッティラ。
英語版ウィキペディア(Attila)にはこの王についてこう書いてある。

He is also considered one of the most powerful rulers in world history.
(世界史で、彼は最も強力な支配者の1人とされている。)

he was one of the most feared enemies of the Western and Eastern Roman Empires.
(西と東のローマ帝国にとって、最も恐れられた敵の1人である。)

日本での知名度はイマイチの気もするが、アッティラは人類史でも最強クラスに入るパワフリャーな王なのだ。
いまのロシア~東欧~ドイツのあたりに大帝国を築いた彼は、ローマ帝国へも攻め入った。
ヨーロッパ世界に破壊と死をもたらす恐怖の大魔王は、452年にイタリア半島へ侵攻すると、たちまちミラノなどの都市を次々に陥落してしまう。
アッティラ軍が襲ってくるまえに、都市から逃げ出した人々が定住した島がいまのヴェネツィアの始まりだ。

西ローマ帝国皇帝ウァレンティニアヌス3世も首都ローマから逃げ出して、土石流のようなアッティラ軍の進撃を止められる者はもはや誰もいない。
イタリアに残された運命は殺戮と破壊のみ…。
と思われた時、ローマ教皇レオ1世がアッティラと会見することができた。
この時どんな話をしたのか知らないが、レオ1世は最強の暴君にイタリアからの退去と、皇帝と和平を結ぶことで合意させた。
アッティラは本当に軍を率いてイタリアから去っていき、西ローマ帝国は滅亡寸前のところで何とか守られた。
こんな奇跡を起こしたら、レオ1世は伝説的な教皇になるしかない。

といっても実際には、アッティラの軍で疫病と飢餓が発生していたから撤退したと考えられている。

 

『レオ1世とアッティラの会見』(ラファエロ)

 

こんな魔法のように国と民を救ったこともあり、レオ1世は特に偉大な教皇として「大教皇」と呼ばれ、この時代にローマ教皇の権威は大いに高まった。
2013年まで教皇だったベネディクト16世は、レオ1世がローマ教皇になったことについて、間違いなくカトリック教会の歴史のなかで最も重要なものの一つと称賛した。(Pope Leo I

モンゴル軍が鎌倉へ近づいてくると、将軍があわてて逃げ出す。
そんな時に天皇が出てきて、敵将を説得して撤退させることに成功したら、天皇は神の化身と見なされて将軍は雑魚キャラになる。
そう考えると、レオ1世の偉大さがおわかりいただけただろうか。

 

 

ヨーロッパ 目次

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。