徹底的な死・破壊・略奪でヨーロッパを変えた「ローマ劫掠」

 

ほんじつ5月6日は、1527年に「ローマ劫掠(ごうりゃく)」が起きた血塗られた日だ。
神聖ローマ(ドイツ)皇帝とスペイン王を兼ねていたカール5世の軍が、イタリアの教皇領だったローマになだれ込んで、殺す、壊す、奪う、強姦するといったやりたい放題をする。
ヨーロッパ世界を変える出来事が起きたのが500年前のきょう。

16世紀のこのころ、神聖ローマ帝国とスペインを支配していたハプスブルク家と、フランスのヴァロワ家がイタリアをめぐって争っていた。(イタリア戦争
情勢としては神聖ローマ帝国が有利。
フランスはパヴィアの戦いに戦いに負け、国王フランソワ1世が帝国軍の捕虜になるとか、かなり「雑魚キャラ化」していく。
フランスが弱体化していくほど、イタリアでの神聖ローマ帝国の影響力が増大するのは必然。
これにイヤな予感しかなかった教皇クレメンス7世は、神聖ローマ帝国が大キライだったヴェネツィア共和国・フィレンツェ共和国・フランスなどと組んで、神聖ローマ帝国に対抗するコニャック同盟を成立させる。
*コニャックとは同盟が結ばれたフランスの街で、ここで作られるブランデーはドン・キホーテでも手に入る。

コニャック同盟が神聖ローマ帝国にケンカを売ったようなものだから、こうなるともう戦争は避けられない。
結果からいうとこのコニャック同盟戦争(1526~30年)は、イタリアの名門貴族ドーリア家の軍人アンドレア・ドーリアの華麗なる裏切りもあって、フランスや教皇のコニャック同盟側の敗北。
これでイタリアは神聖ローマ帝国の支配下に入る。

ちなみに、洋食のドリアはこの裏切り貴族アンドレア・ドーリアに由来するという。

和食ではないが日本料理のドリア。由来はイタリアの名門貴族?

 

 

ローマ劫掠」はコニャック同盟戦争の最中に起きた。
1527年5月6日、ローマに侵入した皇帝軍に教皇軍が応戦するも敗北し、教皇クレメンス7世はサンタンジェロ城へ逃げ込む。

・ドイツ兵にはカトリックを憎悪するプロテスタント(ルター派)が多かった。
・兵士への給料の支払いが悪かった。
・多くの兵が食料不足で腹が減っていた。
・指揮官が戦死して軍は統制を失った。

こんな悪条件が重なって皇帝軍の兵は「ヒャッハー!」となって、市民を見つけては襲いかかり、命も貴重品も手当たりしだい奪って、女性は強姦され街は破壊された。
こんな獣のような兵士が8カ月ほど駐留したから、5万5千人以上いた人口は「ローマ劫掠(Sack)」の後、1万人ほどに激減する。
経済的にも破綻して芸術家や思想家が散り散りになり、ルネサンス文化の中心地だったローマは壊滅的打撃を受けた。

Rome, which had been a center of Italian High Renaissance culture and patronage before the Sack, suffered depopulation and economic collapse, causing artists and thinkers to scatter. The city’s population dropped from over 55,000 before the attack to 10,000 afterward.

Sack of Rome (1527) 

 

この虐殺で多くの死体が路上に放置され、それが原因で疫病が発生して多くの帝国軍兵士が死ぬ。
死体が虐殺者に復讐したようなものだ。

 

ローマ劫掠

 

人命・経済・文化芸術といったあらゆる面でローマは神聖ローマ帝国軍に破壊された。
これもコニャック同盟を結成した、教皇クレメンス7世の判断ミスによる。
各弱小キャラが一つになってラスボスに戦いを挑んだ場合、勝てばいいけど、負ければ地獄が現出することは小学生でもわかる。
この失態でクレメンス7世はカール5世のいいなりとなって、「教皇<皇帝」の力関係が形成され、同時にカトリックとプロテスタントの対立も決定的になって、ヨーロッパ世界は次のステージへ移行していく。

 

 

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2 件のコメント

  • > カトリックを憎悪するプロテスタント(ルター派)が多かった。
    > 皇帝軍の兵は「ヒャッハー!」となって、市民を見つけては襲いかかり、命も貴重品も手当たりしだい奪って、女性は強姦され街は破壊された。
    > こんな獣のような兵士が8カ月ほど駐留したから、5万5千人以上いた人口は「ローマ劫掠(Sack)」の後、1万人ほどに激減する。
    > 経済的にも破綻して芸術家や思想家が散り散りになり、ルネサンス文化の中心地だったローマは壊滅的打撃を受けた。

    キリスト教って、人間社会へ幸福をもたらすことが目的じゃないのですか?
    この後、アフリカ大陸から大量の黒人を拉致して米国内で奴隷として酷使した歴史が続く訳ですが。
    日本人には、おそらく、同じことをするのはとても無理ですよ。それほどの「蛮勇」を持ち合わせていない。

  • かつて、古代ローマ帝国は東方からの蛮族侵入によって滅びました。現代の ❝ローマ帝国❞ であるEUも、やはり東からの蛮族侵入によって滅びに向かうのかもしれません。西と南と北の海を天然の防衛ラインとしているヨーロッパにとって、東欧・中東はまさに ❝鬼門❞ ですね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。