有名なわりには、実際に行って見てみると「ナニコレ カネカエセ」と期待を裏切られる。
そんな「世界三大ガッカリ」として、デンマークの人魚姫とシンガポールのマーライオン、そしてベルギーの首都ブリュッセルにある小便小僧が有名だ。
あるときジュリアンという少年が、敵の仕掛けた爆弾の導火線にオシッコをかけて火を消して、ブリュッセルを救ったことが小便小僧の由来になったという。(他の説もあり)
像そのものは大したことなくても、国を救ったという物語はその国民にとっては最高の価値がある。
1830年のきょう10月4日は、そんなベルギーがオランダ(ネーデルラント連合王国)に対して独立宣言を行った日だ。
翌31年の7月21日に初代国王としてレオポルド1世を迎えたことで、この日がベルギーの建国記念日になっている。
それまで同じだった国から分離・独立するというのは、一般社会でいえば夫婦が離婚するようなもの。
なんでベルギーの人たちはオランダから離れたかったのか?
オランダの何に不満だったのか?
その大きな理由が宗教と政治だ。
独立するまえ、オランダ南部の諸州(後のベルギー)の住民のほとんどはカトリック信者で、プロテスタント中心の北部諸州とは事情が違っていた。
法的には平等だったとはいえ実際には、政治や軍の高い地位の大部分はプロテスタントに占められていて、カトリックの意見や立場が尊重されることはなかった。
でも、カトリックが嫌いだった国王ウィレム1世(もちろんプロテスタント)は、南部に広がるそんな嫌悪の空気を読み取ることができず、南部の学校でカトリックを教えることを禁止する。
不幸は友人を連れてやってくる。
フランス語圏にオランダ語の使用を押し付けたことで、南部では中央政府への憎悪が高まっていく。
相手の宗教や言語を強制的に変えようとしたり、何でも一方的に決めてしまうような人間と一緒に生活するのは無理。
「あいつをオレ(わたし)の色に染めてやる」なんて発想は人権侵害につながる。
これはもう離婚するには十分な理由だ。
怒りは社会に満ちていて、後はちょっとしたきっかけがあれば大爆発する状況はできていた。
火をつけたのは、劇場で上演されたオペラ『ポルティチの唖娘』だった。
1830年8月25日、スペインからのナポリ独立をテーマにしたこのオペラを見て、愛国心を刺激された南部の人たちは暴動を起こして政府の建物を占拠する。
オランダ側は鎮圧のために軍を送るも、「血の市街戦」で人びとがブリュッセルを守り抜く。そしてブリュッセルに臨時政府がつくられて、10月4日に独立宣言を行った。(ベルギー独立革命)
その年の12月、ヨーロッパ列強によってオランダ(ネーデルラント連合王国)からの事実上の独立が認められ、翌31年7月21日に初代国王を迎えてベルギーが成立する。
ということでベルギー独立革命を全体的に見てみると、そのモチベーションとなったのは国のために戦うという「小便小僧魂」だった。
『ポルティチの唖娘』(La Muette de Portici)
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