おっ、きのう10月8日は、日野富子が正式に足利義政の妻になった日だったか。
日野富子のことは別の記事に書くとして、ここでは同じく「日本三大悪女」の1人に挙げられる北条政子を紹介しよう。
彼女は一体どんなアクなのか?
大河ドラマで小池栄子さんが演じて、いま話題の北条政子には先見の明があった。
「オイオイ、あいつはやめとけ」という周囲の反対を押し切って、犯罪人として伊豆へ流されてきた男と結婚した北条政子の目には輝く未来が見えていた。
その男、源頼朝は後に将軍になって鎌倉幕府を創設したのだから。
ただ、彼女は当時の常識をぶち壊すレベルの激しい嫉妬心の持ち主だった。
政子が子どもを身ごもっていたとき、夫の頼朝は「亀の前」というセンベイみたいな名前の女性をとても気に入って、自分の近くに呼び寄せてひんぱんに会うようになる。
いまの日本の芸能人が妻の妊娠中に別の女性と不倫しているのがバレたら、謝罪会見を開いても許されず、出演していたCMが吹き飛ぶ。
でも、このころの日本の常識では一夫多妻は当然で、地位の高い人間が正妻のほかに妾(めかけ)を持つのはナチュラルなこと。
でも、これが許せなかった政子は亀の前の家を襲うことを命じて、実際に破壊してしまう(後妻打ち)。
亀の前は何とか襲撃から逃げ出して、その後も頼朝の寵愛を受けたことは分かっているが、その先の記録は残っていない。
頼朝は罪人ではあるが「清和源氏」という名家の出身で、地方の有力者の娘にすぎない政子とは身分がつり合っていなかった。
当時のアタリマエを否定し、亀の前にオトシマエをつけさせた政子の嫉妬心は、“血”をめぐる劣等感や不安の表れだったかも。
その後、将軍となって幕府をつくった頼朝は急死してこの世を去る。
頼朝との長男・頼家が第二代鎌倉将軍になると、政子は出家して尼になったが、世間との縁を断つことはなかった。
北条家のライバルだった比企能員(ひきよしかず)が力をつけて、目ざわりになってくると、父の時政と組んで能員とその一族を滅亡させる。(比企能員の変)
これで政治の主導権は北条家が握り、政子は息子の頼家から将軍の地位を奪うと、彼を伊豆の修善寺に幽閉してしまう。
頼家はその翌年に亡くなり、政子の次男の実朝(さねとも)が三代将軍になった。
と思ったらその実朝が、「親のカタキィィィィ!」と頼朝の子・公暁(こうぎょう)によって暗殺されるという修羅場が待っていた。
夜叉のような政子のシットのため、頼朝はたくさんの子供をつくることができず、これで源氏直系の血は絶えてしまう。
これで鎌倉幕府は北条家のものになる。
政子の父・時政が初代執権に就任すると、時政とその妻が政権を独占しようとし、それを知った政子は時政を伊豆へ追放し、弟の北条義時が2代目の執権となった(牧氏事件)
政子が嫉妬に狂い、結果的に頼朝の血筋は断絶した。
さらに息子や父親に対する仕打ちもヒドく、最後は自分が権力者となったことで、後世の日本で政子は「悪女」と呼ばれるようになる。
でも政子は、夫と4人の子どもすべてに先立たれたという悲運の女性でもる。
その試練を乗り越えた強さが、彼女がアクジョと言われる理由になった根本のような気がする。
コメントを残す