江戸時代の関所を見学したアメリカ人「ここはエリス島だね」

 

1886年のきょう10月28日、アメリカ独立100周年を記念して、フランスから贈られた「自由の女神像」の除幕式が行われた。
ニューヨーク湾のリバティー島にあるこの像は、全身で「フリーダム!」」を強調している。のだ
左手に持っているキャンパスノートみたいな板には、アメリカが自由を手に入れた日、つまり独立記念日の「1776年7月4日」が刻まれている。
引きちぎられた鎖を踏んづけて立っているのは、この女神があらゆる弾圧や抑圧から解放され自由であることを表す。
頭から出ている7つの”トゲトゲ”は、敵が来たらこのリングを投げて攻撃する、というのではなくて、七つの大陸と七つの海(つまり世界中)に自由が広がるという意味だ。

 

 

 

さてわが静岡県には東に富士山があれば、西に新居関所(あらいせきしょ)という観光名所がある。
知名度は「ほぼ近隣住民」といったところで、富士山とは比較はムリすぎ。
でも江戸時代、五街道の中でいちばん人の往来が多かった東海道で、通行人をチェックして日本の安全を守っていたのが新居関所。
そんな政治的役割があったから、人々の生活にとっては富士山より重要だったのだ。
「全国で唯一現存する関所の建物であり、江戸時代の交通史跡として極めて重要です」と湖西市がプッシュしているから(新居関跡)、富士山登山の後はぜひここを訪れてほしい。

 

 

江戸時代、新居関所で特に厳しく取り締まっていたのが「入鉄炮出女(いりてっぽうとでおんな)」。
全国の大名による謀反を超警戒していた徳川幕府は、強力な武器である鉄砲を江戸へ持ち込ませること、そして人質として置かれた大名の妻女が江戸から脱出することを防ぐために、こうした関所をいくつも作って厳重にチェックしていた。
違反がバレて処刑され、遺体は見せ物になったという説明が新居関所にある。

ここにニューヨーク出身のアメリカ人を連れて行って上のような説明をすると、彼女はポツリとこう言う。

「じゃあここはエリス島だね」

そうそう、新居関所はどう見ても…、エ、エリス島?

 

エリス島

 

エリス島はニューヨーク湾内にある小さな島で、アメリカの移民局が置かれていたことで知られる。
およそ100年前の19世紀後半~20世紀前半、新天地で人生をスタートさせようとヨーロッパからやってきた移民は、まずはこの島に上陸して移民局のチェックを受けて、許可が出ればアメリカへ入国することができた。
移民にとってこのジャッジは天国か地獄の二択。
だたから、エリス島は『希望の島』(Island of Hope)とか『嘆きの島』(Island of Tears)と呼ばれた。
現在のアメリカで、エリス島で審査を受けて入ってきた移民を祖先に持つ人は多いから、アメリカにとってこの島(移民局)が持つ歴史的意義はハンパない。

それでアメリカ人はこんな話をする。

「エリス島は好ましい人物とそうではない人間を確認して、それ以上の通行を認めるかどうかを判断するところ。だから日本の関所と役割は同じ。ヨーロッパからの移民はまず自由の女神像を見て、その後エリス島に到着した。いまではこの2つはセットになっていて像のほうが有名だけど、現実的に重要だったのは移民のほう」

「ニューヨークへ行きたいかー?」、「おおー!」と当時のヨーロッパ移民は長い航海を経て、自由と希望を表す女神のトーチ(たいまつ)を見て、「ついにきた!」と喜んだのだろうけど、それは到着でしかない。
その先に進むことができるか、門前払いされるかの運命の瞬間はその後だ。

世界的な知名度や影響の大きさは置いといて、江戸幕府にとっての新居関所(やすべての関所)は、アメリカにとっての移民局と機能はだいたい一致する。
でも、この2つを結びつけるのは、NY出身のアメリカ人とか限られた人だけで、日本人ならそんな発想はまず出てこない。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。