違うのだよ日本とは…。宗教対立で悩む近世ヨーロッパの君主

 

いまから400年ほど前、1600年の12月17日に、イタリアのメディチ家に生まれたマリー・ド・メディシスがフランス国王アンリ4世と結婚式を挙げた。
ここで注目するのは夫のほうで、漢字で書くと「顯理4世」になるアンリ4世。
これから、ヨーロッパと日本の君主の違いについて書いていこうと思う。
いくら伝説レベルの名門貴族・メディチ家の出身とはいえ、フランス国王がイタリア人と結婚するというのは日本の歴史ではあり得ない。
天皇が外国人女性を妃(きさき)に迎えて国際結婚していたという、別の世界線にある日本や皇室というのは一体どんなものなのか、アーニャでいえば「ワクワク」みたいな興味はある。

いまのフランスでアンリ4世の人気は高く、1959年に発行された紙幣のデザインに採用されたこともある。
彼が理想的な王と評価されているのは、人と人とが殺し合い、「天下は破れば破れよ。世間は滅びば滅びよ」という応仁の乱のような混乱状態(たぶん)に終止符を打って、安定をもたらしたからだ。自分の命を犠牲にして。
当時のヨーロッパでは、各国の君主がアンリ4世と同じように宗教対立に苦しんでいた。
それは何なのか?

 

1517年にドイツのルターが、事実上ヨーロッパを支配していたローマ・カトリック教会を敵に回して、宗教改革を行なった結果、プロテスタントという新しいキリスト教が爆誕する。
ルターの革命的な思想が伝わると、フランスでは「ユグノー」というプロテスタント系のキリスト教グループが生まれた。
これに対してカトリックの人たちは、大事な娘から無職のおっさんと結婚したいと言われた父親のように「そんなヤツは絶対に認めん!」と激怒する。
カトリックの信徒はユグノーとの共存はもちろん、そんな異端者が存在することすら許さず、生きたまま火刑に処するといった悪魔のようなことをしていた。

16世紀後半のフランスはまさに修羅の時代。
1562年に、カトリックの貴族が軍に命じてユグノーを殺害する「ヴァシーの虐殺」が発生すると、これがトリガーになって、仏全土でカトリックとプロテスタントの信徒が殺り合う「ユグノー戦争(フランス宗教戦争)」がぼっ発する。
近世ヨーロッパの宗教戦争から現代日本の夫婦げんかまで、争いが長引くと、両者の間でウンザリ感や疲労が蓄積されて融和の機運が高まっていく。
そのタイミングを見逃さないことが肝。
フランスではこの宗教対立を終わらせるため、ユグノーの指導者であるアンリ(後のアンリ4世)と、カトリック側の代表として国王シャルル9世の妹・マルグリットが結婚することになった。
「これでやっと終わる…」と思った人もいたのだろうが、実はそれは不幸フラグだ。

 

サン・バルテルミの虐殺(1572年)

 

宗教問題はやっかいで妥協を堕落と考え、他人の命よりも自分の信仰を優先する人もいる。
カトリックとプロテスタントの協調路線を認めない人たちがこの結婚にダンコ反対し、相手側に襲いかかり、1万~3万人の犠牲者を出したとされる「サン・バルテルミの虐殺」が起きた。
争いを終わらせるための結婚によって、大虐殺が始まったという闇展開になる。
最終的には1598年にアンリ4世が、ユグノーなどのプロテスタントにも信仰の自由を認める「ナントの勅令」を出したことで、約40年もつづいたユグノー戦争はやっと終結した。
争いと混乱の時代を終わらせたこの有能な王は、現代のフランスで「良王アンリ」と高く評価されている。

【フランスの宗教対立】戦争&虐殺を終わらせたナントの勅令

でも、そんなアンリ4世は狂信的なカトリック信者によって暗殺されたから、宗教ってのはホントにやっかいだ。

 

アンリ4世

 

細かい内容はそれぞれ違うとしても、近世ヨーロッパの国ではこんな感じに、カトリックとプロテスタントに分裂して互いに殺し合っていて、国をまとめないといけない王や皇帝は苦心した。
「ナントの勅令」のすぐあとイギリス(イングランド)では1605年に、カトリックの集団がプロテスタントの国王を爆殺しようとした「火薬陰謀事件」が起こったし、宗教改革が始まったドイツでも1618年~48年まで、ヨーロッパ各国を巻き込む「30年戦争」がぼっ発して国内はこれ以上ないほど疲弊した。

そんな悩みとは無縁だったのが日本の天皇。
6世紀の敏達(びだつ)天皇の治世に朝鮮半島から仏教が伝わると、この新宗教を受け入れるべきという勢力と、日本古来の神々を怒らせるからやめるべきという勢力に分かれて、朝廷内で争いが始まった。
とはいえ、ヨーロッパで起きた宗教戦争という暴風雨に比べれば、この「崇仏論争」は風鈴を鳴らすぐらいのそよ風レベル。
敏達天皇の後を継いだ用明天皇(聖徳太子の父ちゃん)が、仏教と神道の両方を大事にする(仏法を信け、神道を尊びたまふ)と言って以来、日本では神道と仏教を支持する勢力が争うことはなくなった。
もちろん用明天皇が過激派に暗殺されることもなかった。
日本の天皇にも苦労は多かったが、宗教をめぐって国内が分裂することはなかったから、その点では、欧州の君主にしてみれば「うらやましいこと山のごとし」だったに違いない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。