クリスマスが終わったら、正月まであと一週間もない。
チキン・ピザ・ケーキの連続攻撃を受けて満腹になった後、今度はお節料理の準備をしないといけないから、日本人の年末はとても忙しい。
「心を亡くす」と書いて「忙しい」になるというウワサ。
「キリストのミサ(礼拝)」を意味するクリスマスで盛り上がったら、すぐに初詣で神社やお寺へ行く様子を見て、「無宗教の日本人は何でもアリだな」と感心したりあきれる外国人もいる。
洋服から和服に気軽に着替えるような感覚は、たしかに日本人の宗教感覚の特徴を表しているけれど、西洋と比較した日本人の”らしさ”なら他にもある。
クリスマスの起源をたどっていくと、キリスト教が広まる前のヨーロッパにたどり着く。
つまり、この起源はキリスト教ではなく別の宗教にあって、12月25日にキリストが誕生したなんて記述は聖書にはないのだ。
1700年ほど前、日本では弥生人が森に入ってドングリを拾っていたころ、ローマ帝国ではコンスタンティヌス1世という人が皇帝(在位306-337年)に即位した。
初めてキリスト教徒になったローマ皇帝がこの人。
コンスタンティヌス1世がキリスト教の布教を認める『ミラノ勅令』を出すと、それまで処刑を含めて厳しく禁止されていた状態から一転し、キリスト教はローマ帝国で広がっていく。
コンスタンティヌス1世は以前は、太陽を信仰するミトラ教の信者だったらしい。
彼がキリスト教に改宗した後、336年にミトラ教の祭である冬至祭の日を、イエス・キリストの誕生日と定めたとウィキペディアにある(12月25日)。
『改訂新版・世界大百科事典』の説明によると、クリスマスが12月25日に固定されたのは教皇ユリウス1世(在位337-352年)のときだから、ヨーロッパでこの日にクリスマスを祝うようになったのは約1700年前とみていい。
ローマの冬至の日にあたる12月25日はもともとミトラス教にとって重要な日で、祭をする習慣が以前からあった。だからそれに乗っかって、その日を「キリストの降誕を祝う日」として、キリスト教の祭へすり替わっていったのだろう。
ハロウィンも古代ケルト民族のドルイド信仰の祭を、後からキリスト教徒が自分たちのモノにしたと言われている。
知人のイギリス人の言い方を借りると、キリスト教が別の宗教のイベントを”ハイジャック”したのだ。
もとは異教の祭だったのだから、仏教や神道を信仰する日本人がクリスマスやハロウィンを祝ったり楽しんでも問題はない。
さて、東ヨーロッパにはリトアニアという小さな国がある。
日本で知り合って、いまは母国に戻ったリトアニア人がクリスマスの様子を送ってくれた。
あるとき彼が「日本の伝統文化について知りたいのだが」と言うから、日本の聖地・お伊勢さんへに連れて行くことにした。
伊勢神宮の歴史はおっそろしく長い。
神話では約2000年前、たしかな歴史では5~7世紀に建てられたとされている。
「マジかっ。この神社はそんなに古いのか!」ということ以上にリトアニア人が驚いたのは、伊勢神宮の境内にはいまも古代の信仰が残っているということ。
伊勢神宮の敷地にある建物やそこで行われる祭は、6世紀に仏教が伝わる前の日本にあったものと同じというから、五十鈴川にかかる橋を渡ると、1500年ほど前にタイムスリップすることができる。
一神教のキリスト教では、違う神や異教の存在は認められない。
だからリトアニアではキリスト教が広まると同時に、それまであった信仰は根絶やしにされて、建物や祭などは残っていないから、いまではその時代の様子はほとんど分からなくなった。
キリスト教は別の宗教を許さないから、この状況はドイツ人、スペイン人、イギリス人に聞いても同じだ。
それまであったものが徹底的に排除された結果、古代の人たちがどんな信仰をしていたのかいまではよく分からない。
でも、日本は違う。
外来宗教の仏教がきても神道が駆逐されることなく、人々は仏も神も同じように信仰していたから、まったく異なる宗教でも共存することができた。
「神仏習合」の考え方から言えば共存というよりも、日本では神道と仏教が一体化することがよくあった。
クリスマスの後にすぐ初詣へ行くことも、複数の宗教を「まぜまぜ」にする日本の伝統文化の考え方に合っている。
ハロウィンやクリスマスのように、キリスト教が異教の祭を”ハイジャック”することなかったが、神道と仏教がごちゃ混ぜになってしまったから、いまでは「お盆や初詣はどっちの行事なんだ?」と外国人に質問されると固まってしまう日本人が続出する。
一神教のキリスト教世界の人からすると、古代の信仰がいまも生き続けていることに驚異や畏敬の念を感じることもある。
フランスを代表する民族学者のレヴィ=ストロースは日本をこう表現した。
「私が非常に素晴らしいと思うのは、日本が最も近代的な面もおいても、最も遠い過去との絆を持続し続けていることができるということです」
日本人にはアタリマエ過ぎて気づかないかもしれないが、見る人が見れば、日本は奇跡のような国なのだ。
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