2023年の1月2日、とっても日本らしいあのセレモニーが復活した。
コロナ禍のせいで中断されていた「新年の一般参賀」が皇居で行われて、天皇陛下がこうあいさつをされる。
「3年の月日を経て、きょう、こうしてみなさんと一緒に新年を祝うことを誠にうれしく思います。年の初めにあたり我が国と世界の人々の幸せを祈ります」
さて、タイムスリップして1868年に行くとこの次の日、1月3日は王政復古の大号令が行われた日。
将軍・徳川慶喜が政治を行なう権利を天皇へ返上したことで、源頼朝から約700年にわたって続いてきた武家政権(幕府)は消滅し、”王政”が復活することになった。
将軍から天皇への権力譲渡は、新しい人物が皇帝になって王朝を始める中国の易姓革命(王朝交代)ではなかったから、「革命」でなくて「維新」と呼ばれるようになる。
この元ネタは中国の古典『詩経』にあるこの言葉だ。
「周雖旧邦、其命維新」
(周はふるい国であるが、その天命は新しいものである)
日本という国は変わらないが、これから天皇を中心とする新しい政治が始まる、という意味で「維新」が選ばれたと思われ。
実際このあと、明治政府はまったく新しい体制で国内改革を進めて、日本を近代国家へ生まれ変わらせることに成功した。
ヴィルヘルム2世
明治維新でも新年の一般参賀でも、昔も今も天皇は日本のシンボル的存在として、国民をまとめる役割を果たしてきた。
正月にドイツ人と会ってガストでご飯を食べていた時、「ドイツにもそんな、国民を統合するような存在ってあるのだろうか?」とふと疑問に思ったんで彼に聞いてみる。
ちなみにドイツにも皇帝はいた。
第一次世界大戦の劣勢に苦しんでいたドイツ国民がついにブチ切れて、1918年11月に「ドイツ革命」がぼっ発すると、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命して帝政ドイツが崩壊すると、ヴァイマル共和政(ヴァイマル共和国)が誕生する。
この場合の革命は西洋史の「レボリューション」で、中国史の易姓革命とは違う。
日本最後の将軍が徳川慶喜なら、ドイツ最後の皇帝はこのヴィルヘルム2世だ。
ドイツ革命で皇帝と帝国が消滅した後、ヒトラーとかいう悪魔が登場したり、国が分断・再統一したりして、100年ほどの時間が流れて今にいたる。
天皇のいなくなった日本を想像するのはむずかしい。
でも、いまのドイツ国民にはその状態がノーマルだから、「いまでもドイツに皇帝がいたとしたら?そんなの分からないよ」と知人は肩をすくめる。
では、ドイツ人を一つにまとめるような存在はあるのか?
しばらく考えてから、彼はこんなことを言う。
「ナチスを生んだことへの反省から、ドイツでは愛国的なものを排除するようになったから、国民を一つにするようなモノはむずかしい。あえて言うなら、それは言葉かな。ドイツ語だと思う」
ボク個人としては、日本語が日本人を統合しているという意識はない。それは国民をまとめる力としては弱い気がするから、この答えは想像外。
でもそう思うのは、きっとボクが島国に住んでいるからだ。
ドイツ国内を車で走っていたら、道路標識の言葉がいつの間にかフランス語になっているのを見て、「ああ、ここはフランスか」と初めて気づく経験は、ドイツ人なら珍しくない。
でも、日本なら絶対にあり得ない。
もし天皇という君主を失ったとしたら、日本でも日本語が国民をまとめるモノになるかもしれないが、母国語はすべての国にあるから、それでは国としての個性が弱い。
これまでの人類の歴史で易姓革命やレボリューションが起こって、各国の皇帝が次々と消えていき、いま地球上で「エンペラー」と呼ばれる存在は日本の天皇だけになった。
これからの日本で政権交代による「維新」はあっても、天皇が消滅することは考えられない。
正月を迎えるたびに、
「きょう、こうしてみなさんと一緒に新年を祝うことを誠にうれしく思います」
と天皇陛下があいさつされる風景は変わらないし、その様子をテレビやネットで見て、国民が一体感を感じることも続いていくはず。
それが日本という国だから。
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