翻弄されるイラン女性 ヒジャブ着用で二転三転

 

イスラム教徒の女性なら、髪を隠すため頭にヒジャブをかぶらないといけない。
*ヒジャブとは「覆うこと、隠すこと」という意味のアラビア語。

基本そうなんだけど、知人のインドネシア人やバングラデシュ人、トルコ人やモロッコ人に聞くと、イスラム教徒の女性でヒジャブを着けない人もいるから、これは全世界のイスラム教徒の義務というワケではない。
ちなみにこのスカーフを着ける理由は、自分の体の”美しい部分”を家族や親族、夫以外の男性に見せてはいけないとイスラム教で定められているからだとか。
外出する時は、必ずヒジャブを着用しているバングラデシュ人女性に言わせると、それをしないというのは、上半身に何も着けずに、裸で外を歩くような恥ずかしさがあると言う。

 

ヒジャブを着けるかどうか、自分で決められるのならいいのだけど、国民のほぼ100%がイスラム教徒のイランでは政府によって着用が義務付けられていて、違反すると宗教警察に捕まってしまう。
イランで9歳以上の女性は外国人でも異教徒でも、家の外へ出る時は必ずこのスカーフを着用しないといけない。

2022年の9月、22歳の女性がヒジャブを正しくかぶっていなかったとして、宗教警察に逮捕され、数日後に死亡する事件が発生。
死亡した経緯が不自然で、彼女は警察官に殴られていたという情報も拡散された結果、大規模な抗議デモに発展して、これまで200人以上が死亡した。(マフサ・アミニの死

 

 

こんな感じにイランの女性はヒジャブを着けることがマストで、それに違反すると警察に捕まってしまう。が、昔はそうではなく、その真逆の自由な状態だったのだ。
日本でいうなら明治維新のように、社会の西洋化を目指したイランの皇帝レザー・パフラヴィーは1936年に、女性解放政策のひとつとして、女性にヒジャブの着用を禁止する。
キャシュフェ・ヘジャーブ
街中でヒジャブをしている女性がいたら、警察がそれを脱がせて、拒否した女性には罰が与えられた。
それまでのイランでは服装によって、その人物の民族や宗教、社会的階級などが分かったから、ヒジャブを廃止して洋服を着ることで、すべての人を平等なイラン国民にしようと皇帝は考えたらしい。

でもこの後、皇帝が変わるとヒジャブ着用は禁止ではなくなり、本人の意思にまかされるようになる。
すると国内は、ヒジャブ着用を支持する勢力と反対する勢力に分裂し、ヒジャブを着けた女性の入店を拒否するレストランまで現れた。

 

1979年にホメイニーを指導者とするイラン革命がぼっ発すると、皇帝はエジプトに亡命しパフラヴィー朝は崩壊。
これで成立したイラン・イスラム共和国がいまも続いている。
イラン革命の後、女性たちは今度はヒジャブの着用が法的に義務付けられて、街中では宗教警察による厳しい取り締まりが始まった。
禁止→自由→義務と政策がコロコロ変わって、イランの女性たちが本当に翻弄されてきた。

ヒジャブの着用には宗教的な理由があるとしても、政治のトップによって180度ひっくり返るのだから、結局は政治マターだ。
マフサ・アミニさんや国の内外で抗議活動を行う女性は、「時代ガチャ」に外れてしまったらしい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。