【誤解しないで】イランがイスラム・アラブの国ではない理由

 

このまえイラン人と話をしてたら、「イスラム教の国」と口をすべらせてしまった。
正式名称は「イラン・イスラム共和国」だし、イラン政府の発表によると国民の99%以上がイスラム教徒だから、ついそう言ったのだけど、イラン人からはすぐに「いえ、それは違います。たしかにイスラムの影響は大きいですけど、イランはイスラムの国ではありません」とたしなめられるの巻。
以前、別のイラン人からもそうツッコまれたことがあるのに、また同じ失言をしてしまった。
でもイランについて、こんな誤解している日本人は多いと思われる。
なので今回はイランの独自性を紹介しようと思う。

まずそのイラン人に、イスラム教の国とイランとの違いを聞くと彼は「言葉」をあげた。
サウジアラビアやイラクなどはイスラム教の聖書クルアーン(コーラン)の文字であるアラビア語を使っているけど、イランの言葉はペルシア語だ。
そしてイランは、アラビア語を話すアラブ圏の国ではないことを彼は強調する。
中東の国ではあっても、アラブの国ではないという点ではトルコとイランは同じ。

【アラブと中東の違い】日本人の“無知”にトルコ人がイラっ。

 

ほかにも、3月21日にそのイラン人がSNSでコメントしたこれがある。

「みなさん15世紀もよろしくお願いします!」

15世紀になったばかりというと、日本では金閣寺を建てた足利義満がいたころなんだが、イラン暦(ペルシア暦)ではこれが正解。
イラン暦は、イスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメディナへ移住(聖遷:ヒジュラ)した622年を元年としている。
でもってイランの正月(ノウルーズ)は日本の「春分の日」と同じ3月21日(か20日)。
だから2022年3月21日の今日はイラン暦だと1401年1月1日の元旦になって、この日から15世紀が始まることになる。
太陽が春分点を通過する日、昼と夜の長さが等しくなる春分の日を一年の始めにする発想は、人間としてとても自然な気がする。

ゾロアスター教が国教だったササン朝ペルシア(226年 – 651年)で、宗教儀礼との結びきでイラン暦が誕生したという。
ちなみにササン朝の首都は言うまでもなくサンダルフォン、じゃなくてクテシフォンだ。
イスラム暦もムハンマドのメディナ移住を元年にしているけど、太陽暦のイラン暦とちがって、太陰暦のイスラム暦だと2022年は1443年で新年は7月30日になる。
イスラム教の国に対しイランでは、ゾロアスター教に由来する独自の暦を使っているという決定的な違いがある。
ただ元年が同じだからややこしいわ。

ということで、おわかりいただけただろうか。
ペルシア語を使うイランはアラブ圏の国ではないし、イスラム暦とは別の独自の暦を使っているから「イスラム教の国」ではない、と考えるイラン人がいることを知っておこう。
イランはイスラム教を国教としているから、客観的には「イスラムの国」と言うことはできる。
でも、外国人からそう言われることには拒否感を感じて、「いえ、それは違います!」と否定する人もいるのだ。

 

 

中東 目次

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。