10年に一度の大寒波が日本へやってきた。
それで天気予報を見ると明日の最低気温がー8℃、最高気温がー1℃と、温暖な浜松市にしては異世界転生なみに寒くなるらしい。
そんな寒い日には何つっても鍋ですね。
で、鍋といえばポン酢だね。
このポン酢という言葉は、もともとは「pons」(ポンス)というオランダ語だったことはご存知だろうか。
ポンスの意味については、柑橘類の果汁を混ぜた酒のこと、いや柑橘類の果汁を指すと、サイトによって分かれていてどっちが正解かよくワカラン。
でもとにかく、オランダ語の「pons」が日本で柑橘類の果汁を意味するポンスとして定着し、スに「酢」の漢字を当てられて、いまの日本語になったことは間違いない。
ちなみにオランダのお酒「ポンス」と、フルーツポンチの「ポンチ」は語源が同じらしい。
(フルーツポンチ)
「pons」という言葉が日本へ伝わったのは、江戸時代にオランダと貿易をしていたときでしょ。
その時代、日本には正月が一年に”2回”あったことをご存知だろうか。
まずは旧暦の1月1日に祝う伝統的なお正月で、これは明治時代に西暦へ移動して現在まで続いている。
もう一つは、長崎の出島にいたオランダ人が祝った「オランダ正月」だ。
キリスト教徒の彼らにとっては、クリスマスを盛大に祝いたかったのだけど、江戸幕府がキリスト教を厳禁していたからそれができなかった。
それで代わりに、太陽暦の1月1日に新年を祝うパーティーを開いて、長崎奉行所の役人や通訳など、日ごろ付き合いのある日本人をオランダ商館へ呼んで、西洋の食べ物や飲み物をふるまった。
長崎の人たちはこれを「阿蘭陀正月」と呼ぶ。
「pons」もこの時に出たメニューだったかもしれない。
オランダ正月では牛・豚・アヒルの肉料理やデザート、それにコーヒーなどが提供されたが、西洋料理は江戸時代の日本人の口には合わなかったようで、招かれた役人はほとんど食べなかったという。
まあお互いに顔を合わせて、「きょねん一年間おつかれさまでした。今年もよろしくお願いしますね」という新年のあいさつをすることが大事だったと思われ。
大槻玄沢(おおつきげんたく:1757年~1827年)という有名な蘭学者がこのオランダ正月を気に入った。
*彼は『解体新書』を翻訳した杉田玄白&前野良沢の弟子で、この2人の名前から一文字ずつもらって「玄沢」の名前(通り名)を名乗った。
大槻玄沢が江戸にあった蘭学塾に仲間を招いて、オランダ正月(というか新年会)を毎年開くようになり、それは44回も続いたという。
「江戸時代の日本は鎖国をしていた」といっても、日本人とオランダ人が一緒にお正月を祝うこともあったから、それは限定的なもの。
それでも、このつながりは大きかった。
19世紀になってから清とイギリスの間でアヘン戦争がぼっ発し、これに敗北した清はイギリスへ賠償金を払い、香港を奪われた。
ヨーロッパの国とは一切の交流がなく、アヘン戦争について清から間違った情報を信じた朝鮮は判断を誤って、それが原因の一つとなって、その後の近代化に失敗し国を失うことにもつながった。
その点、アヘン戦争の経過と結果について、オランダから正確な情報をゲットできていた日本はホントにラッキーだった。
ポン酢の背後にはそんな歴史があったのだ。(たぶん)
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