香港人の知り合いが日本へやってきたとき、「ひさしぶりデスネー」とお土産にこれをもらった。
「京都」と「名薬」しか読めない。
下のは『キメツ』の新キャラ?
*香港で使われている漢字は、昔の日本人が使っていた旧字体だから薬は「藥」になる。
日本人のボクとしては、馴染みがあるだけにわからなかったのが「京都」。
「ぶぶ漬け(おちゃ漬け)でもどうどす?」とか「良い時計してますなぁ」と言われたら、「そろそろ帰ってください」を意味するという深淵な文化を持つ日本の古都がなぜここに?
上の丸い絵はそのナゾを解くヒントになる。
頭のてっぺんと両サイドの毛をキレイにそって、後ろの毛を三つ編みにたらした辮髪(べんぱつ)をしている男性がいる。
これは中国が清(17~20世紀)だったころ、男性がしていた独特の髪型だ。
香港人の話によると、この場合の「京都」とは清の都だった北京のことで、これは清朝時代、都でよく効くと評判だった薬らしい。
この京都という言葉は固有名詞ではなくて、「首都」を意味する普通名詞だったから、北京を「京都」と表現することもできたのだ。
「日本の首都は東京です」という感じに、「清の京都は北京です」と言うこともできたと思われる。
そもそもこの言葉は中国製だから。
中国で皇帝という存在は偉大すぎて、臣下がその名前にある文字を使うことは禁止されていた。
このルールを避諱(ひき)という。
神にも等しい皇帝の名前を国民が読んだり書いたりするのは、その神聖性を汚すことになり、皇帝を侮辱する行為になるから、そのタブーに触れた人間は厳罰の対象となる。
北朝鮮ではいまでもそんながあるらしい。
では、避諱(ひき)の具体例をみてみよう。
たとえば後漢の時代にいた皇帝・光武帝は「劉秀」という名前だったから、「秀才」という言葉は「茂才」と言い換えられた。
ちなみに、日本へ「漢委奴国王」の金印をあたえた皇帝がこの光武帝といわれる。
また、清の時代にいた康熙(こうてき)帝の名は「玄燁(げんよう)」だったから、「玄」と「燁」の文字は使用禁止となって、紫禁城の北門にあたる「玄武門」は「神武門」に変更された。
ではここで三国志クイズ。
蜀にいた天才的軍師の孔明にとって、ライバル関係にあった魏の武将はだれ?
答えは司馬 懿(しば い)。
その司馬懿の息子を司馬師(しばし)といって、司馬師の孫が西晋を建国して初代皇帝になった司馬炎だ。
この西晋の時代(265年 – 316年)に、皇帝の住む都(首都)を意味する言葉として使われていた「京師(けいし)」が、司馬師の「師」とかぶるということで、避諱(ひき)の考え方からこの文字は使用不可になる。
そこで「師」を「都」に変えたことで「京都」が生まれた。(京都)
これは普通名詞だったから、中国だけでなく、朝鮮半島やベトナムにあった首都も「京都」と表現されることがあった。
でも歴史とともに、東アジアにあった京都は次々と消えていって、いまではもう日本にしか残っていない。
それで京都は固有名詞となる。
知人の中国人は「京都」の文字を見ると、「日本料理店が思い浮かびますね」と言っていたから、起源は中国にあっても、いまではもう日本のものと言ってよし。
ちなみに日本で、京都が固有名詞として使われるようになったのは、「京都守護」の役職がつくられた鎌倉時代からだとか。
中国文化は日本文化の起源!?①オリジナル性・香港人が驚いた京都
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