昭和と令和の大きな違いが「ジェンダーレス」。
いまの日本では男女の違いが無くなったわけではないけれど、その境はアイマイになっている。
学校がよく導入している“ジェンダーレス制服”はその象徴で、つい最近も東京の中学校で、スラックス or スカート、ネクタイ or リボンの組み合わせを生徒が自由に選ぶことができるようになった。
だからこの中学校では、男子生徒がスカート&リボン、女子生徒がスラックス&ネクタイという格好で登校してもOKだ(のはず)。
実際にそんな生徒がいるかどうかは知らんけど、スラックスを履いて登校する女子高生は浜松のような地方都市でも珍しくないから、街中でそんな中高生を見かけても、驚かなくなる日本はもう近い。
さて制服を「征服」に変えるとそれは戦争だ。
オルレアンの乙女で、フランスの国民的ヒロインで、カトリックの聖人のジャンク・ダルク
日本でいえば鎌倉幕府が滅亡したころ(1333年)、ヨーロッパではイングランドとフランスによる百年戦争が始まった(1337年~1453年)。
この戦争は現在の英仏の国境線を決めたことで有名なんだが、人類の歴史で、もっとも有名と言っていい少女を生んだことでも知られている。
農夫の娘に生まれて、読み書きも出来なかったジャンヌ・ダルクがある日、「神の啓示を受けた」とフランス軍に参加したことから物語はスタートした。
「オイオイよしてくれ。貧しくて教養もない、こんな女の子にいったい何ができるんだよ」と冷ややかに見た兵士も多かったはず。
でも、その後のジャンヌの言動がをそれを熱狂に変える。
フランス軍が劣勢だったオルレアン包囲戦(1428~29年)に派遣されたジャンヌは、イングランド軍の指揮官に手紙を送り、その中で自分を「乙女」と呼んで、
「立ち去れ、さもなくば、私が立ち去らせる」
と神の名で要求した。
有言実行のジャンヌ・ダルクは、拒否したイングランド軍を撃退してフランス軍を勝利に導く。
もし、このオルレアン包囲戦で負けていれば、フランスはまず間違いなく戦争に敗北して、全土がイギリスに支配されていた。
この戦いは百年戦争における重要なターニングポイントとなる。
最初は冷ややかだった将兵も、神がかったようなジャンヌの活躍に心を動かされて、王太子のシャルル(後のシャルル7世)もこの少女に絶大な信頼と期待を寄せるようになった。
奇跡の乙女が登場すると形勢逆転。
「圧倒的ではないか、我が軍は!」とフランス有利に戦況を進め、ついにイギリスを追い出してフランス王国を守ることができた。
そしてシャルル7世はジャンヌのおかげで、フランス国王になることができた。にもかかわらず、シャルル7世は百年戦争が終わる少し前、敵軍に捕まった彼女を見殺しにする。
フランス軍が撤退するとき、最後尾にいたジャンヌを捕縛したイングランド軍は、当時の慣習では身代金と引き換えに身柄が戻されることになっていから、それにしたがってフランスへ身代金を要求する。
でも、シャルル7世はこれをスルー。
王にも国家にも見捨てられたジャンヌに対して、1431年のきょう2月21日、異端審問が始められた。
そのくわしい過程は「ジャンヌ・ダルク処刑裁判」を見てもらうとして、最終的には、「女なのに男の格好をした」という理由でジャンヌの処刑が決まる。
1431年に行われた異端審問の再審理で、ジャンヌが女装をするという誓いを破って男装に戻ったことが異端にあたると宣告され、異端の罪を再び犯した(戻り異端)として死刑判決を受けた。
火刑台のジャンヌ・ダルク
自分の身を守るために再び男性の服を着ました。
ジャンヌはそう証言したから、英軍兵士から性的暴行を受けることを何とか避けたかたのだろう。
もっとも、彼女には男性用の服しか与えられなかったという話もあるし、イングランド側は最初から処刑を決定していて、その理由を探していたのだろう。
この時代のヨーロッパ(キリスト教)の考え方では、神は男と女を別々に創造したから、性差はハッキリ分けられて、女が男の姿をすることは禁止されていた。
ジャンヌの場合、それは表面的な理由で、男装をしないという誓いを破ったことが裁判所に「罪」と認定され、生きたまま焼き殺される。
ジャンヌの遺体は黒焦げになった後、さらに燃やされて灰になって最期は川へ捨てられた。
フランスでは「聖女」だったジャンヌ・ダルクは、イングランドには「魔女」でしかない。
ジャンヌが日本の女子高生に転生して、前世の記憶が残っていたら、スラックスだけは絶対に選ばないはずだ。
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