【不易流行】時代と男女差別。日本とカトリック教会の場合

 

「わたし作る人、ぼく食べる人」

ハウス食品が1975年に流したCMで、こんな言葉をキャッチフレーズにしていた。すると「男女差別」「女性蔑視」と批判が殺到して、このCMの放送は打ち切られた。

これから約20年後、1996年に日産「スカイライン」のCMで牧瀬里穂さんがこんなセリフを言う。

「男だったら、乗ってみな」

これも「男女差別だ!」とクレームが付いて、「キメたかったら、乗ってみな」に変更。
なんとか放送中止はまぬがれた。

「女性は料理を作って、男性はそれを食べる」なんて性別で役割を明確化したら、1970年代の価値観でも放送中止になってしまう。
「男だったら」とか「男らしく」という言葉は、いまは公共の電波で流すことはできない。

男女は平等で役割分担なんてものはない。
そんな考え方が一般化してきて、最近、埼玉県にある公立中学校がこんな決定をした。

埼玉新聞の記事(2018年12月21日)

女子生徒の制服にパンツスタイル ジェンダーにも対応、スカートと選択も可 新座第六中、来年1月から導入

この中学校は来年から、女子生徒の制服に「パンツスタイル」を導入することにした。
スカートではなくて、パンツ(ズボン)をはいて登校してもOK。

「県内で女子生徒の制服にパンツスタイルを導入している公立中学校は珍しい」と書いてあるけど、全国的にも珍しいだろう。
静岡県でパンツスタイルの女子中学生は、見たことないし聞いたこともない。
ということは、男子生徒がスカートをはくこともOKということか?

時代とともに、男女平等の考え方や制服が変わるのはあたり前。
そう思っていたから、ボクとしては何の驚きもない。
ネットの反応を見てもフツーにこれを受け入れている。

・中学の時は普通に女子はスカートとスラックスだったな
寒冷地だからかもしれんが
・別にいいんじゃない?
・某都立は標準服でブレザーとスカートだけ購入、中は自前のシャツでもTシャツでもいいし、下はジーンズでもOKなのですげー楽だったよ。
・追従する学校が出てきて30年後にはセーラー服とか絶滅してるかもな
・制服やめれば良いだけじゃね
・女子高生でスカートを履きながらジャージを履くのが一時期流行ってたな。
・制服業者が両方買わせたいんだろうな
・身体の構造考えたら女がズボンで男がスカートを履くべきだよ
・ますます女子内ヒエラルキーが加速しそうだな

 

個人的には千葉市の対応に驚いた。
千葉市の役所や学校では「夫」や「妻」、「お母さん」や「お父さん」といった言葉が“差別語”のような扱いになっている。
これはLGBT(性的少数者の総称)の人たちへの配慮で、それぞれ「パートナー」や「保護者の方」という表現を使うことが適切という。
賛否両論・いろいろな見方はあるけど、日本社会にはいまこんな動きがある。

 

いつの時代、どこの国でも「不易流行」はある。
これは俳句の神・松尾芭蕉がとなえた考え方といわれる。
新しさを求めて変化していくことが流行で、時代が変わっても不変なものが不易。

「男女平等」の考え方は流行で、時代によってコロコロ変わる。
でもそれは一般社会での話で、宗教の世界はちがう。
男女を明確にわけて違いをつけることは、宗教では珍しくない。

たとえば福岡県にある沖ノ島だ。
神道の考え方で、この島には女性が上陸することができない。
それでユネスコ世界遺産に登録されるとき、これが「男女差別になるのでは?」という批判もあった。でも、「個々の宗教観や文化性は尊重する」「因習を話し合う場があるべき」というのがユネスコの見解で、この女人禁制が世界遺産登録審査の障害にはなることはなかった。
2017年に沖ノ島は世界遺産に登録されている。

この女人禁制は、女子中学生の制服のような「流行」ではなく「不易」に属する。
守るべき伝統でユネスコも認めている。

 

男女平等について言えば、ボクとしてはこっちの不易に驚いた。

ロイター通信の記事(2016年11月2日)

カトリック教会の女性司祭禁止は永久不変=ローマ法王

キリスト教は大きく2つに分けて、カトリックとプロテスタントがある。
プロテスタントでは女性が聖職者になることは認められている(全てかどうかは分からない)。
でもカトリック教会ではダメ。

スウェーデンは男女平等において、世界の先進国といわれている。
そのスウェーデン人の女性記者が、ローマ法王にカトリック教会で女性の聖職者が生まれる可能性について質問した。
法王の答えがこれ。

「これについては、聖ヨハネ・パウロ2世が最終的に明言されている。それは有効だ」

つまり、カトリック教会では女性が司祭になることは禁止されていて、それは永久に変わらないという。
長嶋茂雄さんのようなことを言う。

 

この立場がカトリック教会の不易だけど、流行もある。
2012年に、ローマ法王がツイッターのアカウントを取得してツイートを始めた。
カトリック教会も時代に応じて、新しいものを取り入れているのだ。
ちなみに、初めてのツイートがこれ。

Dear friends, I am pleased to get in touch with you through Twitter. Thank you for your generous response. I bless all of you from my heart.

ツイッターで世界中の人たちとつながれることがうれしい、とある。

 

これはおまけなのだけど、ことし2018年に、ローマ法王のアカウントが停止される出来事があった。

興味があったら、blogosの記事(2018年08月06日)を検索しておくれやす。

教皇アカウントがツイッター社により停止させられる

といっても正確には、「ローマ教皇のツイッター日本語訳アカウント」のことだけど。
ある意味、ツイッターはこれほど平等だった。
「わたし作る人、ぼく食べる人」なんてツイートしたら、「男女平等に反する」とアカウント停止になるのだろうか?

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。