浜松市に住んでる知人のドイツ人(20代の男性)は日本の伝統文化が好きで、最近は御朱印帳を買って御朱印集めにハマっている。
「これはとてもユニークな発想だね!御朱印がもっとほしい!」と言うから、彼を鳳来寺へ連れて行くことにした。
鳳来寺は愛知県新城市にある真言宗のお寺。
この寺は山の上にあって、ふもとからゆっくり登ると2時間ほどかかるから、いまではハイキングコースとしても人気がある。
その鳳来寺にはこんな由来がある。
大宝律令が完成して、初めて「日本」の国名が定められたとされる文武天皇(683年- 707年)の時代、天皇が病気になって、この寺にいた仙人に治癒の祈祷をお願いする。
「仙人ー!!!! はやくきてくれーっ!!!!」という朝廷の声に応えて、仙人はチャリじゃなくて、鳳(おおとり)に乗ってやってきた。
そんなことから、「鳳来寺」と呼ばれるようになったとか。
「病気になったら、神に祈るのはドイツ人も同じだよ」と彼が言うように、こういう宗教的な発想はどこの国にもある。
でも、日本人とドイツ人の宗教観はかなり違う。
伝説の仙人にツッコみは不要。
鳳来寺につづく石段を登っていると、下のような案内板がところどころにあった。
この中の「三」しか読めないドイツ人に内容が分かるはずもなく、「なあ、あれは何て書いてあるんだ?」と質問をする。
日本に興味のある外国人ほど、視界に入ったものにツッコむ傾向があるから、困ることもあるけど元三大師なら分かる。
元三大師(がんざんだいし)は平安時代にいた良源という天台宗のお坊さんで、その強力な仏教パワー(法力)で平安京にいた悪鬼を駆逐したという。
そんな話から、元三大師のお札を貼れば疫病神は怖れて逃げていくと信じられて、このお札は日本で大人気となる。
【病魔退散】日本”最強”のお札(お守り):疫病神信仰と元三大師
「元三大師堂の跡」ということだから元三大師を祀ったお堂か、それにちなんだお堂がむかしここにあったということだろう。
さらに進んだところにあった案内板には、むかし真言宗の建物があったと書いてある。
するとドイツ人が違和感を感じたらしく、ちょっとマッテクレと言う。
「日本には仏教のグループが複数あるのは知っている。ここはどこのグループのお寺なんだ?」
「真言宗ですが、なにか?」
「だって、さっきのお坊さんは天台宗の人だろう? ここは真言宗のお寺なのに、なんで違うグループの天台宗の建物があるんだ?」
ほとんどの日本人がスルーするようなところでも、バックグラウンドとなる歴史や文化が違う外国人からすると、不思議に見えて引っかかることはよくある。
ただ、それはナゼかと聞かれても「日本だからさ」か、「ドイツとは違うのだよ」と言うしかない。
改めて確認してみよう。
天台宗とは最澄がはじめた宗派で、あらゆる経典の“王”とされる『法華経』を最重要とし、総本山は滋賀の叡山延暦寺だ。天台法華宗とも言われる。
真言宗とは、最澄と同時代に唐で仏教を学んだ空海がはじめた宗派で、『大日経』や『金剛頂経』を重要な経典とし、和歌山にある高野山金剛峰寺を総本山としている。
うん、開祖とか教えとかいろいろ違う。
でも天台宗も真言宗も同じ密教だし、こまけぇこたぁいいんだよ。
それだけじゃドイツ人も納得できないだろうから、ちょっと解説すると、天台宗も真言宗も日本人が唐で学んで持ち帰った教えで、本家の中国ですでに当たり前のように共存していたから、日本でも対立することなく、平和共存していたのだ。
「自分以外はすべて間違い」という一神教のキリスト教と違って、仏教には排他的なところがホントに少ない。
*現代のキリスト教はこんな独善的な考え方からは離れて、寛容になっている。
日本では歴史的にそれが常識になってきたから、真言宗のお寺に天台宗の建物があってもほとんどの日本人は気にしない。
なんでも何もそれが日本だから。
でも、16世紀に宗教改革が始まったドイツは違う。
「これを買えば、あなたの罪が罰せらることはない」といまでいう霊感商法みたいなことを言って、お札(贖宥状)を売りまくり、信仰心を利用して金もうけに走ったカトリックのやり方にドイツ人のルターが抗議して、文字通りのプロテスタントという新しいキリスト教のグループが誕生した。
すると、「だが認めん・・決して認めんぞ!」と怒ったカトリック勢力との間でシュマルカルデン戦争がぼっ発。
このカトリックとプロテスタントの争いは、1555年のアウグスブルクの和議を結んで終結した。
【1地域1宗教】宗教戦争からのアウグスブルクの和議 inドイツ
でも、宗教対立はそんな簡単には片付かない。
争いの火種は残り続けて、1618年にドイツでヨーロッパ史を超えて、人類史においても最大レベルの宗教戦争である三十年戦争がはじまった。
「最後で最大の宗教戦争」ともいわれ、ドイツの人口の20 %を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとなった。
三十年戦争の最中におきた虐殺(1632年)
異端の罪は異教の罪より重い。
同じ神を信じる者だからこそ相手が許せない。
プロテスタントとカトリックの違いは決定的に重要で、戦争をはじめるには十分な理由となってフランスではユグノー戦争がおきたし、ヨーロッパでは各地で両者の血が流された。
日本で最大の宗教抗争は、16世紀に京都であった延暦寺と日蓮宗による「法華一揆」と思われる。
でも、三十年戦争だけで800万人以上の死者を出して、ベルギーやオランダなどの新しい国を生んだヨーロッパの宗教対立に比べると、日本のソレは「てっきり雑魚かと…」と言われても仕方ないレベル。
現在のドイツでも、カトリックとプロテスタントの教会は完全に分かれている。
あえて言えばカトリック信者の知人のドイツ人は、これまでプロテスタントの教会には3回ぐらいしか行ったことない。
いままでに訪れたお寺の宗派を覚えている日本人なんて、全国にいったい何人いるのか?
僧侶や関係者でもなければ、宗派の違いなんて日常生活には関係ないから、一般の日本人がその違いを意識することはまずない。
京都旅行で金閣寺、天龍寺、清水寺、三十三間堂などの宗派を確認するのは修学旅行ぐらいでは。
しかも、それを知ったところで大して意味がないからすぐに忘れる。
ドイツ人の彼の感覚でも、病気の回復を神に祈る発想は理解できる。
でも、カトリックとプロテスタントは基本的に別々という常識からすると、日本で2つの宗派がごちゃ混ぜになっているのを見ると「ちょっとマッテ」と違和感を感じてしまう。
日独ではそれぞれ伝統とそれに由来する宗教観が違うからで、簡単に言うと「日本だからさ」か「ドイツとは違うのだよ、ドイツとは」になる。
外国人から日本についての質問をされても、たいていの場合は「日本はそういう文化だから」で終わると思う。
でも歴史をみるとそれは必然で、そうなるしかなかったことがわかる。
コメントを残す