最初に断っておかなきゃだけど、はじめの部分はこのまえ書いたこの記事と重なりますヨ。
さて、2日前の11月23日は勤労感謝の日だった。
祝日のこの日、たまっていたアニメを一気見するとか、山積みのマンガを一気読みするとか全国の人が充実した一日を過ごしたと思う。
そしてきょう11月25日はアメリカでは感謝祭(Thanksgiving Day)の祝日で、国民は七面鳥とかのごちそうを食べまくり。
こんな感じに、それぞれの国の歴史や伝統に応じた祝日は世界中にあるわけなんだが、ドイツ(やほかのヨーロッパの国)には、日本では考えられない祝日というか制度がある。
キリスト教の教派によって、州の祝日が違っているのだ。
その具体例としては、最近では10月31日の「宗教改革記念日」の祝日があった。
1517年のこの日、マルティン・ルターによるカトリックに対する宗教改革が始まり、新しいキリスト教の教派であるプロテスタントが誕生した。
だからこの日はドイツのブレーメン州やハンブルク州など、伝統的にプロテスタントの影響が強い地域では祝日になる一方、カトリックの影響の強い州ではただの平日でしかない。
逆に聖人を記念する日などはカトリックの州では祝日になり、プロテスタントの州では店も学校も会社も平常運転になる。
日本の祝日は全国に適用されるのがフツーで、都道府県の祝日が仏教の宗派ごとにきまっている状態は考えられない。
でもこのまえスカイプで話したドイツ人は、それが昔からの常識だからなんとも思わないらしい。
ではなんで、国内の各州とキリスト教のグループがこんなに深くリンクしているのか?
それを聞くと彼は「ドイツの歴史から、そういう伝統ができたんだろうね」と大ざっぱなことを言うので、もう少しツッコんで、その契機となった出来事はないかとたずねると、「アウグスブルクの和議かなあ?」という答えが返ってくる。
なるほど、高校世界史でならったアレですか。
ドイツの都市ブレーメン
カトリック教会が支配していたドイツで、それに抗議(プロテスト)する形で1517年にルターによる宗教改革が始まり、プロテスタントが爆誕した。
その後のドイツではプロテストと、それを認めないカトリックとの間で対立や衝突が続いたことは言うまでもなし。
そんな争いにピリオドを打つため、1526年に皇帝カール5世はプロテスタント(ルター派)の諸侯に譲歩した。にもかかわらず、その決定をヒラリと翻して、再びドイツ各地でカトリック政策を押し付けた。
その場しのぎの約束をしておいて、あとでそれを破るというのはダメ皇帝がよくやること。
これに怒ったプロテスタントの7諸侯と11都市が1531年に、ドイツ中部のシュマルカルデンで同盟(シュマルカルデン同盟)を組んで、カトリック側の皇帝や諸侯に対抗していくことを決める。
そして1546年、カトリックを断固支持するカール5世側とシュマルカルデン同盟との間で戦争がぼっ発。
結果、約束違反の皇帝が負けて、反乱軍は自分たちの主張を認めさせることに成功したのだった‥と、アニメなら、そんな展開で第一期を終えるパターンが多い気がする。
でもドイツのガチの歴史では、このシュマルカルデン戦争で皇帝軍が勝利して同盟は解体された。
でも、「イチゴGOGO」(と世界史の授業でならった)1555年のアウクスブルクの和議によって、プロテスタント(ルター派)もドイツ国内で認められることとなる。
この和議において、領邦君主にカトリック、ルター派の宗教選択権が認められた。ルター派を支持する諸侯がカトリック教会・修道院の組織・財産を統制下におくことを事実上認める決定であり、これを以って領邦教会体制が確立したとされる。
「パトラッシュ、ぼくはもう疲れたよ」みたいなことをカール5世やカトリック諸侯が思ったらしく、争いよりも平和を優先して、信仰を理由にカトリックとルター派による暴力行為を禁止した。
プロテスト(ルター派)かカトリックのどちらを選ぶかは諸侯の自由となり、領民には領主の信仰に従わせることが決まる。
このアウクスブルクの和議で「ひとりの支配者のいるところ、ひとつの宗教」の原則が出来上がった。
それから約500年後のいまのドイツで、キリスト教の教派によって州の祝日が違うのも、これが重要な原因となったことはまぁ間違いない。
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