さて今回の内容は「インドのCCB」、カレー・カースト・仏教の中のカーストについて。
まずはインドの田舎の村を見てほしいっス。
・アウトカーストとは?
インドを旅行していたとき、あるインド人と知り合う。
そのインド人がアウト・カーストのインド人の家に案内してくれた。
いきなり外国人が来たにもかかわらず、その家の主人は喜んで迎え入れてくれて、ボクにチャイ(インドのミルクティー)を出してくれる。
列車のなかではチャイを売りに来る。
ここで「あれ?」と違和感を感じる。
その家の主人はボクにチャイを出してくれたけど、ここまで案内してくれたインド人にはチャイを出さない。
その家を出た後、インド人に聞いてみた。
「さっきあの家の人はボクにはチャイを出したけど、君には出さなかったよね?あれには、何か理由があるの?」
ボクの質問を聞いた彼は平然とした顔でこう言う。
「ああ、彼のカースト(ヴァルナ)はボクのカーストと違うから。彼はアウト・カーストの人間だから、彼がさわった物をボクは受け取ることができないんだよ」
これを聞いて言葉がなくなってしまった。
同じインド人でも、カーストが違ったら手渡しもできなくなる!
理由は「穢(けが)れるから」。
これを目の前で見たというのは、当時のボクにとってはかなりの衝撃。
ただこれは、農村でのことでデリーやコルカタといった都市部では事情が違う。
アウト・カーストの人の家
ヒンドゥー教には4つの身分がある。
バラモン(僧)
クシャトリア(王、戦士)
ヴァイシャ(商人)
シュードラ(奴隷)
この4つを「カースト(ヴァイシャ)」という。
でも、この4つのカーストに入ることができない「アウト・カースト(カーストから外れた人たち)」と呼ばれる人たちもいる。
彼らはカースト制のもとで激しい差別を受けていた。
その生活は次のようなものだったという。
住居も、町や村外れの、不潔な、生活用水もない場所に定められ、木の葉や泥以外の家に住むことができず、その暮らしは家畜以下であった
(アンベードカルの生涯 光文社新書)
「町や村外れ」どころではなくて、町から追い出されてしまった人たちもいる。
そして、自分たちで山の中に村を作って生活するようになった。
前回、そんなアウトカーストの人たちのことを書いた。
アウト・カーストの人たちの仕事はだいたい決まっている。
皮革のなめしや染色、ゴミや屎尿の処理、ネズミ取り、死体処理、火葬などといった(ほとんどが世襲の)職業ゆえに「不浄」とみなされている
(インド入門 マノイ・ジョージ)」
ここまでの記述からすると、アウト・カーストの人たちは江戸時代に「賤民」と呼ばれていた人たちとよく似ている。
江戸時代の日本では、「士・農工商」の下に「えた(穢多)」や「非人」といった賤民といわれる人たちがいた。
彼らもまた差別に苦しんでいた。
穢多(えた)
皮革処理や牢番・行刑役などを主な生業とした
(日本史用語集 山川出版)非人
物乞い・遊芸・清掃などに従事した賤民
(日本史用語集 山川出版)
こうした「賤民」の仕事は、先ほどのアウトカーストの仕事とよく似ている。
こうした人のふれたものは、他のひとびとにとっては穢れとなると信じられている
(インド入門 マノイ・ジョージ)
アウトカーストの人たちがさわった物は、穢(けが)れている。
だから彼らがさわったものを触ると、穢れが自分に移る。
そんな考え方がかつてのインドにはあった。
今でも田舎にはある。
こうした差別意識から、アウトカーストの人たちは「アンタッチャブル(Untochable)と言われるようになった。
「Un(不)toch(さわる)able(可・できる)」ということで、日本語では「不可触民」になる。
このことが記事の始めに書いた出来事につながる。
アウト・カーストの人がふれたチャイのカップは「穢れている」から、上位カーストの人はそのカップにさわることができない。
ヒンドゥー教徒ではない日本人だったら問題はない。
江戸時代の賤民の人たちも、これと同じだったのかはわからない。
「不可触民だから」と、武士や農民に物を手渡しすることができなかったのかどうかは聞いたことがない。
本でもネットでも、そうしたことがあったという記述を見つけられなかった。
ただ高崎藩で、賤民の人たちがおさめる年貢を「金」にしたという事実はある。
彼らのお米は「穢れているから」という理由で。
その理由が「穢多・非人・煙亡ノ類」が納める年貢は、「ケガレカルモノ」だから「米納ニオタサズ」ということだったことが知られる。
(身分差別社会の真実 講談社現代新書)
彼らは、チベット仏教徒だからカーストは関係ない。
・呼び方
こうした「カーストから外れた人たち」の呼び方はいろいろある。
今では、「ダリット」という呼び方が適切とされているらしい。
アンタッチャブル(Untochable)は日本語で不可触民という言葉を使っているが、インドでは、アチュート、ハリジャン、アウトカースト、ダリットなどと呼ばれている。
近年は、新聞等の慣用として、ダリットが定着してきたようである。不可触民の人たちが自分たちを呼ぶときにも使われる
(インド人とのつきあい方 清好延)
また、別の本にはこう書いてある。
社会的に公正な呼び方は「ダリット」〔被差別者、被抑圧者の意味〕である
(インド入門 マノイ・ジョージ)」
「社会的に公正な呼び方」というのは、アメリカでいう「ポリティカル・コレクトネス」のこと。
ポリティカル・コレクトネスとは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
(ウィキペディア)
差別を受けやすい人たちの呼びかたは、時代によって変わってくる。
日本にも「ポリティカル・コレクトネス」はある。
たとえば、以前は「精神薄弱者」と呼んでいた人たちを、今では「知的障害者」と呼んでいる。
学校も「養護学校」から「特別支援学校」に変わっている。
ちなみに精神薄弱の前は「白痴」と呼ばれていた。
これはいくらなんでもひどい。
また地方自治体やNHKでは「障害者」ではなくて「障がい者」と、「害」を平仮名にしている。
これも「ポリティカル・コレクトネス」のひとつ。
このポリティカル・コレクトネスにしたがって、この記事ではダリットという言葉を使うことにする。
・都市の生活
こうしたダリットの人たちは、都市でどのような生活をおくっているのか?
一言でいってしまえば、いろいろ。
今ではダリット出身のお金持ちがいるし、アンベードカルのようなダリット出身の法務大臣もいる。
とはいえ、今でも多くのダリットは困難な生活を強いられている。
20年前、ボクがコルカタ(旧カルカッタ)に行ったときは、路上で生活している人をたくさん見かけた。
宿に向かって歩いていると、路上で頭を洗っていたり鍋で料理をつくっていたりしていた。
家の中ですることを路上でしている。
そんな様子を見て本当におどろいた。
宿のインド人スタッフに聞くと、彼らの多くは旅行者やインド人からお金をもらって物乞いとして生活しているという。
そして、彼らのほとんどがダリットだ。
彼らのなかには、路上で生活するというより「路上で生まれて路上で生き、路上で死んでいく」という人たちもたくさんいる。
文字どおり路上で一生をすごすことになる。
物乞いといっても、必ずしもお金がなくなってそうなったのではない。
インドの場合、カースト(ジャーティ)によって物乞いが仕事として決められているという。
いわば「物乞いカースト」というものがある。
物乞いカーストを親にして生まれたら、子どもも物乞いを一生の仕事にする。
そんなことが以前のインドではあたり前だった。
今のインドでは、そんな状況が少しずつ改善されているという。
でも、インド人のジャーナリスト書いた文を読むと今もインドの社会に根強く残っていることが分かる。
しかし、多くのダリットが依然として先祖と同じ苦しみを味わっている(他のカーストとダリットの結婚もまずありえない)
(ビジネスマンのためのインド入門 マノイ・ジョージ)
・インド人はどう思っているのか?
「今のインド人は、ダリットという人たちのことをどう思っているのか?」
インド人のなかでも世代や場所によってダリットへの考え方はまったく違う。
そもそもインド人といっても、全員がヒンドゥー教徒というわけではない。
ムスリム(イスラム教徒)やシク(シーク)教徒のインド人は、基本的にカーストを気にしない。
彼らの宗教では、「人はみな平等」という考え方がある。
その視点からすると、カーストというのは「間違った考え」という認識になる。
だから前回の記事で書いたように、ムスリム(イスラム教徒)のドライバーはダリットの村に平気で行くことができる。
では、ヒンドゥー教徒のインド人はどうか?
インド人に話を聞くと、都市部に住んでいる若い人はカーストを気にしないという。
「30歳以下で、デリーやムンバイやコルカタといった大都市にいる人だったら、カーストなんて気にしないだろう」という話が多い。
そういえばコルカタで会ったインド人は、ダリットから手渡しでチャイをもらっても気にしないと言っていた。
「でもオレの親はダメだな。ダリットからは絶対に手渡しで物はもらわない」
ということらしいけど。
50代以上ではダリットへの偏見が強くあるらしい。
ボクが日本で会うインド人は、大卒のエリートばかり。
インドのいろいろなところから集まる大学では、誰がダリットか分からなし気にもしなかったらしい。
職場の同僚にも、何のカーストか分からない人がたくさんいるという。
ただ、「その人がダリットだと知ってしまうと、意識してしまうかもしれない」ということも話していた。
ダリットたちの家
インドについての本を読むと、インドの上位カーストにいる人間はダリットを「避けながらも、必要としていた」ということが分かる。
バラモンは僧だから、ヒンドゥー教の神への儀式をしなければならない。
でもバラモンはそのときに使う道具をつくることができない。
儀式に使う道具をつくるのは、ダリットの仕事になるから。
土に対する足を不浄とし、対極の頭を浄とした。
ダリットに所属するクムハールというジャーティが素焼の壺や食器を作る。その食器や灯明皿をバラモンが使う。
その際、素焼は火でアグニの神の業により浄化されているという。藁人形に泥を塗りつけ、極彩色で塗り上げた神像がダリットの職人によって作られる。その前に跪く。
(インド人とのつきあい方 清好延)
またバラモンがダリットに髪を切らせるときには、ダリットに頭をさわられることもあるという。
インドでは素焼の器に入れてチャイを出すことが多い。
これも、「素焼はアグニ神の聖なる炎によって浄化されている」という考えにもとづくのだという。
こちらもどうぞ。
インド人から見た韓国人のイヤなところ「日本人と違ってすぐ怒る!」
アンベードカルは首相にはなっていません。大臣の間違いでは?
そのとおりです。
まちがってました。
教えてくれてありがとうございます。
賎民がふれたものが汚れるという考えは、日本にもあったようです。例えば、インドのチャイの話と似た話で、穢多は穢多以外の人間にはお茶はあっても出さない事が、穢多の家の昔から作法とされてる話が島崎藤村の破戒に出てたりします。
なるほど。そんな話が破戒にあるんですね。
初めて知りました。貴重なお話をありがとうございます。
日本では明治時代のはじめごろ、「外国人は穢れている」という考えがありました。
それでイギリスの皇太子が東京城(今の皇居)に入る時に、「お祓い」をしていました。これに福沢諭吉があきれていました。笑。
記事中の「アンベードカルの生涯」という本からの引用は何ページからの引用なのか、教えていただけたら嬉しいです
16~17ページですよ。
アンベードルカルに興味を持ってもらえたらうれしいです。
インドの階級差別は、まるでかつての欧米の人種差別のようでもありますが、イギリスが植民統治の時代に植え付けた、アーリア人種移動説により、階級が人種に入れ替わったという要素もあるのではないでしょうか。因みに、この説は、それを説いたマックスミュラーも、晩年に、語族と人種を混同したと誤説として否定しており、今ではかなり如何わしい神話と見做されていますが、インドでは、これがカースト制度の強固な裏付けとして定着し、未だに信仰されている可能性もあると思います。
>アーリア人種移動説により、階級が人種に入れ替わったという要素もあるのではないでしょうか。
イランのあたりにいたアーリア人がインドに来て、ドラヴィダ系の人たちを支配した。
この説のことでしょうか?
これについては、私もくわしいことは分かりません。
カースト制度の由来は、マヌ法典やリグ・ヴェーダなどの聖典に書いてあります。
興味があったら一読をすすめます。インド人の発想が分かりますよ。
インド人てうんこを手でふく(水で流すだけ)んですよね。
手についた大腸菌問題はどうなるんですか
トイレには蛇口があるから水で流せますよ。
ノープロブレムです。
インドに行って確認してみてください。