前回、オランダの特徴である「寛容さ」が生まれた歴史について書いた。
今回はその続きですよ。
この寛容の精神があったからこそ、オランダは国としての強さと豊かさを手に入れることできた。
スペインと独立戦争を戦っている最中にも、オランダは世界屈指の経済大国になっていた。
オランダ大使館のホームページから。
この時期、オランダ経済は、世界中で最も成功していました。
オランダ経済の繁栄を支えたのは、低地諸国やフランスからの裕福なプロテスタント移民、ヨーロッパの他の地域からのユダヤ人でした。
彼らにとって、独特な宗教的寛容性を持つ共和国は、非常に魅力的な目的地でした。この時代、多くのヨーロッパ人にとって、王や国教の無い国が存在するだけでなく、栄えるのは驚きでした。
オランダ連邦共和国(1581-1795)とオランダの黄金時代
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当時のヨーロッパで、オランダほどの寛容性を持った国は他になかっただろう。
誰でも受け入れるオランダは、とても魅力的な場所だった。
それで、いろいろな人たちがオランダに引きつけられていった。
オランダは、このときからすでに多文化社会だったわけですよ。
「独特な宗教的寛容性を持つ」というオランダは、当時のヨーロッパで一種の理想郷のようなところ。
ユダヤ教を信じるユダヤ教徒も、その寛容性に引きつけられてオランダに向かっている。
というのも、「異教徒でもウェルカム」というオランダがある一方で、その寛容性とは正反対のことが当時のヨーロッパで行われていたから。
それが「魔女狩り」と呼ばれるもの。
オランダがスペインと独立戦争を戦う少し前に、スペインはレコンキスタを完成させている。
レコンキスタ(国土回復運動)
イスラーム教徒からイベリア半島の領土を奪回しようとしたキリスト教徒の戦い。8世紀初めから1492年まで、ほぼ800年間続いた。
(世界史用語集 山川出版)
今のスペインがあるイベリア半島は、それまでイスラーム教徒が支配していた。
それを800年ぶりにキリスト教(カトリック)の国であるスペインが取り返した。
スペインはイベリア半島を手中に収めた後、カトリック以外の宗教を弾圧していた。
先ほどの「ヨーロッパの他の地域からのユダヤ人」では、特にイベリア半島からオランダに来たユダヤ人が多かった。
カトリック以外の宗教を弾圧していたスペインでは、異教徒であるユダヤ人は安心して住むことができなかったから。
さらにこのとき、スペインでは魔女狩りが行われていた。
魔女狩り
「魔女」とは、悪魔と契約して魔力を得て個人や社会に災いをなす、とされた人間。
魔女狩りは新旧両宗派でおこなわれたが、ヨーロッパでは16~17世紀にもっとも激しく、男性も含む10万人以上が処刑されたとされる。18世紀の啓蒙思想の普及とともに鎮静化した。
(世界史用語集 山川出版)
この魔女狩りについて、もう少し詳しくみていこう。
魔女狩りといっても、金持ちが魔女にされることも多くあった。
金持ちを魔女ということして処刑してしまう。
そして、その金持ちの財産をキリスト教の教会が没収してしまう。
単なる金稼ぎのために、魔女狩りが行われていたことも多かった。
そんなめちゃくちゃなことが、ヨーロッパの各地で行われていた。
「キリスト教 封印の世界史(徳間書店)」には、魔女狩りの様子がこう書かれている。
「人々は哀れにも厳しい拷問を受け、身に覚えのないことを無理やり告白させられる・・・・。そして無実の人々は残虐に処刑され、命を奪われるのだ。」
「それは、人間の血から金や銀を生み出す新しい錬金術なのである。」
「裕福な魔女の処刑が済むと、役人たちはいつも犠牲者の財産を費用にあてて宴会を開いた」
ちょっと話が横にそれる。
「豊臣秀吉が、日本人のキリスト教徒を残酷に殺した」と言う人がいるけど、キリスト教徒もかなりひどいことをしている。
もちろん、現在の価値観からその時代を判断することはできないけどね。
魔女狩りはヨーロッパのいろいろなところで行われていたけど、スペインで特にひどく行われていた。
ユダヤ教徒にとっては、これならスペインが来る前、イスラーム教徒に支配されていた時代のほうが良かったと思ったんじゃないかな。
そんなユダヤ人の目には、信仰の自由を認めるオランダが魅力的に映ったはず。
オランダには寛容性と自由があった。
自分が信じたい宗教を信じることができる。
多くの人が、この寛容性(信仰の自由)の魅力に引きつられてオランダへ移り住んでいった。
現在のオランダにもこの寛容の精神が生き続いていて、いろいろな宗教や人種の人間が集まる多文化社会になっている。
おまけ
それにしても、「人ではない存在(悪魔)と契約することで、不思議な力を得る」という発想は、まるでアニメのコードギアスみたい。
日本のマンガやアニメにもこんな考え方がありそうだね。
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