今月の3日、「犯人は日本で生まれ育った人間じゃない」とすぐに分かる事件が神戸の神社で発生。
その日の午前中、黄色い服を着た男が現れると『(神は)イスラム教のアッラーしかいない。ここで祈るな」といったことを叫んでさい銭箱を蹴ったり、手を清めるための手水舎にあった竹の筒(つつ)を引きちぎったりした。
犯人はアフリカのガンビア人でイスラム教徒というから、酒に酔って暴れたというわけではなさそう。
この男にはお地蔵さんを壊した疑いもある。
「違法な逮捕で何も言うことはありません」などと意味不明の供述しているこの男にネットの反応は?
・八百万も神がいる日本で何がしたいんだよ
・うちらの神に裁かれてくれ
・一神教って他の宗教や神様認めるわけにはいかねえからな
信仰の多様性とか絶対受け入れられない
・日本に来るなら宗教的な信仰より日本国の法律を優先してほしいね
・これだから一神教はだめなんだよ
他宗教に不寛容すぎる
多少の決めつけがあるとしても、独善性や排他性といった一神教のダークサイドに嫌悪感を感じる人が多い。
聖徳太子の唱えた「和をもって貴しとなす」はいまの日本でも尊重される価値観で、日本人の伝統的な信仰スタイルはこういう破壊行為の反対側にある。
だから、「神は~しかいない」といった独善的な考え方は日本の風土に合わないのだ。
手水で使う竹の筒
きょねんの秋ごろ、イスラム教徒のバングラデシュ人とトルコ人、文化的にはキリスト教だけど自分は無宗教というドイツ人、それとヒンドゥー教徒のインド人と愛知県にある鳳来寺へ行ってきた。
8世紀に建てられたというこのお寺は、徳川家康の母親がここにお参りをして家康を授かったという伝説から、江戸時代になると幕府の保護を受けて有名になって、多くの人でにぎわっていた。
そんな話を外国人にすると「なるほど。キリスト教の教会でもイスラム教のモスクでも、有力なスポンサーがつくと発展するのは同じだ」と一同納得。
「太客」は宗教の世界でも大切らしい。
でも、鳳来寺から3分ほど歩くと、2ヶ月前に日本へ来たばかりのドイツ人が「あれ? なんで?」と戸惑った。
彼の目の前にこんなものがあったから。
ドイツ人「鳥居があるということは、ここは神社ですよね?」
わい「イグザクトリー」
独逸人「どうして寺の隣に神社があるんですか? 仏教と神道はまったく別の宗教じゃないですか」
情報処理ができないでいるドイツ人に、日本に3年住んでいるバングラデシュ人女性がこう話す。
「その気持ちはすごくわかる。日本人は宗教にほとんど関心がないから、こんなふうに、違う宗教の建物が一緒のところにあることはめずらしくない。わたしも日本に来てから、寺と神社の区別がつかなくて『鳥居のあるところは神社』と覚えた。だから、日本人の友人にお寺へ連れて行ってもらった時、境内に鳥居があってビックリした。日本人にとっては自然なことだから、友人はそれを疑問に思ったことはなかったと言っていた」
仏教と神道のどちらかを排除しないで、区別すらしないでごちゃ混ぜにして信仰する「神仏習合」が日本人の伝統的な信仰だから、お寺なのに鳥居があることはよくある。
このほかにも江戸時代には儒教が盛んになって、神仏儒の三つの宗教が違和感なく日本人に受け入れられていた。
キリスト教やイスラム教などの一神教の文化圏で生まれ育った外国人からすると、その伝統的な価値観や考え方をぶっ壊す「神仏習合」のような信仰スタイルは異質に見える。
同じ町に教会とモスクがあることはあっても、同じ敷地にあることは考えられないとドイツ人は言う。
トルコは西洋キリスト世界とイスラム世界の境(さかい)にあって、歴史・文化的に両者の文化が入り混じっている。でも、ひとつの都市に教会とモスクがあっても、離れていて隣接していることはないらしい。
自分の信じている神だけが正しくて、異教の神なんて絶対に認めないーー。
一神教の世界ではそんな独善的な態度から、よく他国の信仰を否定したり禁止したりしていたし、いまでも過激派はそう考えている。
でも、日本には伝統的にそんな排他性はなかったから、いまでも宗教の違いを気にしない人は多いし、異教の宗教施設を破壊するような野蛮な行為も日本ではなかった。
…というわけでもない。
日本でも1868年に、明治政府が神道と仏教を切り離すように命じた神仏分離令を出した後、全国各地でお寺や仏像が破壊される出来事がよく起きた。
なんで明治の初期にこんな出来事があったのか?
幕末に鎖国政策を廃止した日本はこのころになると、江戸時代の古い価値観や考え方を一掃して、西洋諸国をモデルに近代国家へ生まれ変わろうとさまざまな改革を行っていた。
そのなかで日本人はキリスト教の一神教的な思想にふれて、それまで当たり前だった神仏儒のごちゃ混ぜ状態をおかしいと思い始め、これを否定するようになったという。
三教合一論が否定され、神仏判然令が出されたのは、宗教混沌を否定するヨーロッパの宗教思想の影響を受けてからであって、それ以前は、神社とお寺が一体化していようが、その寺子屋で『 論語』を教えていようが、それを奇妙に思う人間はいなかった。
「日本人とは何か。(上巻)神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (PHP文庫) 山本 七平」
その結果、政府が神仏分離令を出すと、国民が寺や仏像を破壊するような蛮行が各地で発生したが、この動きはすぐに否定されてまた元の三教合一の状態へ戻っていった。
明治の日本人は積極的に西洋の制度や思想を受け入れて、国会や憲法、学校などをつくって社会を変えていったのに、一神教の独善的な考え方だけは受け入れらなかった。
こういう排他性は、日本の伝統的な価値観とは絶望的に合わないのだ。
日本人は信仰についてはかなり自由&寛容だから、イスラム教徒の児童生徒が図書館や校長室で、アッラーへ礼拝できる小中学校もあると知ってビックリする外国人もいる。
「神仏習合」を伝統とする日本ならお寺の境内に鳥居があってもおかしくないし、海外でマナー違反をする人がいても、異教の施設が許せなくて破壊する日本人なんていない。
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