韓国の人たちは「歴史を忘れた民族に未来はない」と日本によく忠告してくれる。
確かにその指摘は重要で、日本人が正しい歴史を学ばないと日本は未来を失ってしまう。
ということで今回は、戦前の日本が台湾統治でしたことについて学ぼう。
日本は日清戦争に勝利した1895年から、太平洋戦争で敗北する1945年まで台湾を統治していた。
その台湾には現在、京都の高雄に由来する「高雄市」がある。
今年の5月、高雄市の市長が来日し、新潟県佐渡市の市長と会って文化や観光について話し合い、これから両市は友好都市となり、交流を発展させていくことで合意した。
その流れで昨日の7月22日には、高雄市から佐渡市へ贈られた山本 悌二郎(ていじろう)の銅像が佐渡の真野公園で披露された。
ボクがそんなニュースを知ったのは、ある台湾人が日台友好を願って「日本時代の高雄砂糖産業開発先駆者の山本悌二郎さん」とSNSに投稿したから。
そんな日本人は初耳だ。
調べてみると、山本は1870(明治3)年に佐渡で生まれた実業家で、統治時代に台湾に渡った人だった。
台湾人から見ると、彼はこんな人物になる。
フォーカス台湾(5/23)
高雄で台湾製糖橋頭工場の建設に関わった他、高雄港の築港を推進するなど、高雄の近代化に貢献した
陳高雄市長、佐渡市長と面会 友好都市交流協定の調印に期待/台湾
山本 悌二郎(ていじろう)
戦前、台湾総督の児玉源太郎や民政長官の後藤新平は台湾の経済を発展させるために、台湾初の近代的な製糖会社をつくることにした。
山本はその会社設立に尽力し、1921年には社長に就任する。
これによって、台湾で本格的な砂糖生産が始まった。
終戦後に日本が台湾を去ると、台湾政府はこの置き土産をもとに「台湾糖業公司」を設立し、いまでもそれは台湾の砂糖産業の中心となっている。
こうした山本の活動はいまの台湾で、「高雄の近代化に貢献した」や「先駆者」と高く評価されている。
そして100年以上の時を経て、佐渡市と高雄市を結びつけるキューピットとなり、両市の友好交流を後押しした。
でも残念なことに、現在の日本では山本悌二郎の知名度は絶望的に低い。
戦前の日本は台湾統治で何をしたのか?
現在の台湾の人たちは、それについてどう思っているのか?
「歴史を忘れた民族に未来はない」から、日本人として知っておく必要がある。
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