ソウルの中心部を流れる川で、市民の憩いの場となっているのがケチョンケチョン。ではなくて、清渓川(チョンゲチョン)。
この川はとてもユニークだ。
数百年前からソウルにあった清渓川は、戦後になると経済開発のために埋め立てられ、その上に高架道路が造られた。
でも、2002年に李 明博(イ・ミョンバク)氏がソウル市長になると、高架道路を撤去し、清渓川を復元させた。
高架道路が老朽化して危険だったからこの工事が行われた、と言われているが、ソウルで生まれ育った知り合いの韓国人は別の説を唱える。
それは「風水」だ。
古代中国自で生まれた風水は朝鮮半島にも伝わって、首都や墓といった重要な場所を決める際の根拠として使われた。
風水で重視とされるのは「気(エネルギー)」の流れで、「気」は水の流れによってもたらされると考えられている。
風水を信じた李市長は清渓川を復活させることで、ソウル市に「良い気」を呼び込もうと考えた、というのが知人の説だ。
これが正しいかどうかはわからない。
でも、『世界ふしぎ発見!』のホームページでミステリーハンターの中島 亜梨沙さんがこう話しているから、荒唐無けいというワケではなさそうだ。
(韓国開運紀行 人生に福をもたらす秘策)
「この川は悪運を流す大切な川だからと、わざわざ高架道路を撤去してまで、川を復活させたそうです。」
日本統治時代の清渓川
そもそもソウル市自体も風水の考え方よって建設されたという。
李成桂がクーデターを起こして高麗を滅ぼした後、1395年に漢陽(いまのソウル)に都を定めた。
風水的に見ると、その地が理想的だったことが遷都の根拠となったと、法政大学教員(おそらく)の朴賛弼氏が説明する。
李太祖は風水思想を重んじ、風水がよければ新しい王朝も栄えると信じていた。(中略)朝鮮時代は古くから風水思想によって土地を決めていた。
当時、漢陽は「気」を受けるには最適の場所だから、この地に首都を置くことで、国全体が安定するという考え方があった。
「良い気」を運ぶのは漢江(ハンガン)だ。
風水の理念では、北に山があり、南には川が流れる「背山臨水」が理想的とされるから、北の北岳山と南の漢江の間に朝鮮国王の住む景福宮が築かれた。
1395年に李成桂が漢陽を首都に定めて以来、日本統治時代を除けば、ソウルはずっと首都の地位をキープしている。
これは風水パワーのおかげかも。
風水思想に基づいて建設されたソウル
「背山臨水」を感じ取ってくれ。
先ほどとは別の韓国人から、現代の韓国でも風水が社会に影響を与えているという話を聞いた。
清渓川(チョンゲチョン)を復活させた李 明博(イ・ミョンバク)氏は大阪で生まれ、「月山 明博」という日本名を持っている。
この韓国人によれば、李氏は日本出身というハンデがあったにもかかわらず、韓国の頂点まで上り詰めることができた背景にも「風水パワー」があった。
李氏は風水の占いで住居を何度か変え、常に運気を得ることでソウル市長に当選し、さらに大統領にステップアップできたという。
知人はそのウワサを30%ほど信じていた。
だが待てほしい。
実際には李氏は退任後に有罪判決を受けて、刑務所にぶち込まれたのだが?
これは「韓国大統領あるある」で他にも、全斗煥(チョン ドゥ ファン)、盧泰愚(ノ テウ)、朴槿恵(パク クネ)氏といった大統領経験者も刑務所に入れられるなど、悲惨な末路をたどっている。
現在の尹錫悦(ユン ソン ニョル)大統領も、そんな不吉な未来を気にしているかもしれない。
去年、大統領執務室をそれまでの「青瓦台」から、数十億円の費用をかけて、別の場所に移動したことが国民の関心を集めた。
その動機は何なのか?
公式な理由は「帝王的権力の象徴を国民に返す」というものだったが、実はそれはタテマエで、過去に何人も不幸な大統領を生み出したことから、ユン大統領が青瓦台を風水的に不吉と恐れたからではないか、という説が流れた。
そんな大統領執務室に続いて、新しい疑惑が登場した。
大統領夫妻の住む大統領官邸も場所を変える際、風水の専門家が関与した疑惑が浮上し、警察が捜査を始めたという。
ハンギョレ新聞(2023-07-24)
大統領官邸龍山移転への「風水家介入」、全貌明らかにせよ
ただ、もともとハンギョレは反ユン大統領の立場で、話を誇張して政権批判をしているから、この話はアヤシイ。
でも、14世紀に李成桂が風水でソウルを都に選んだように、ユン大統領もこの風水を信じていなくても、気にしていた可能性は高いと思う。
韓国社会には、風水で吉兆を占う考え方がいまも根強くあることは間違いなさそう。
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