オランダの社会ってこんな社会だ。
在日オランダ大使館のホームページから。
*現在はリンク切れ。
過去数十年間に、オランダは、出身地の異なる多くの人々が共に生活する多文化社会へと発展しました。
オランダ人は異なる信念や信条を持つ人々に寛容なことで知られています。17世紀に主に宗教上の信条で迫害され、母国を逃れた人々を保護して以来、オランダには寛容の精神が培われてきました。
オランダの社会
オランダの多様性や多文化社会は日本では想像できないぐらいすごい。
沖縄の石垣島とほぼ同じ面積のアムステルダム(オランダの首都)には、200カ国の国籍の人たちが住んでいる。
こんな「誰でもウェルカム」の寛容性のあったオランダの社会は今、大きく変化している。
その大きなターニングポイントは、2002年と2004年におこった2人のオランダ人の殺害事件だったといわれる。
この二人の殺害によって、この国は四〇〇年かけて創り上げてきた「寛容性」というオランダ文化をのアイデンティティを大きく問われることになった。
人々は、この国が歴史的に培ってきた寛容性と民主性の文化はすでに幻想にすぎないのではないかと震撼とさせられ、パニックに陥った。
「オランダを知るための60章」
このうちの1人、極右政党のフォライン党首が殺害されたことは前回書いた。
フォルタインは、イスラーム教を「時代遅れの宗教」と言ったり、「イスラーム教は西欧の価値観とは違うから、彼らと一緒に生活することはできない」と主張していたりしていた。
当然、多くのイスラーム教徒はフォルタインを憎悪することなる。
そんな彼が選挙運動中に暗殺されてしまう。
これは約300年ぶりにおきた政治的テロ事件だったということで、オランダ社会を震撼させている。
寛容だったオランダ人も、イスラーム教徒へ冷たい視線をおくるようになっていく。
ちなみに、日本でこれに近い事件としては、1960年(昭和35年)東京の日比谷公会堂で起きた浅沼稲次郎暗殺事件がある。
聞いたことあるかな?
日比谷公会堂で演説していた日本社会党委員長が、17歳の右翼少年に暗殺されたテロ事件のこと。
この日NHKと民放各局は、通常の番組を変更して報道特別番組を編成した。特別番組ではいずれも民主主義と議会制度を否定する暴力が非難され、暴力の排除が強く訴えられた。
(ウィキペディア)
このとき、犯人が少年だったということで、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まっている。
鉛筆削りまでも「危険だから」と子供から取り上げらたという。
そういえばニューヨークから来たアメリカ人が、日本の中学校の図工の授業を見驚いていた。
生徒たちが彫刻刀を使っていたから。
「ニューヨークの学校だったら、あんな刃物は持ち込み禁止。あんなのがあったら、同級生を刺す生徒が出てくるから」
ということらしい。
2002年にフォライン党首が暗殺された2年後、オランダ人にまた大きな衝撃を与える殺害事件がおこる。
2004年に、テオ・ファン・ゴッホという映画監督が殺害された。
このときの犯人は、イスラーム過激派のモロッコ系オランダ人。
この殺害方法が執拗で残酷だったことも、オランダ人のイスラーム教徒への反感を高めている。
犯人はこの映画監督を銃で撃って、さらに首をナイフで切って殺害したのだ。
この事件でオランダ社会がまたパニックになった。
このイスラームの過激派がゴッホを殺害した理由はなにか?
それは、「彼が監督した映画が『イスラーム教を冒とくしている』と過激派を怒らせたため」といわれている。
花嫁衣装が引き裂かれ、その背中にコーランが書かれている劇中のシーナがプレス用写真として使われている。
コーランに抑圧されている女性の悲哀を象徴させ、家庭で夫に暴力をふるわれ、親戚にレイプされ、人格も人権も持たないイスラームの女性蔑視を告発したという。
ムスリム女性の素肌の露出とそこに書かれたコーランによって、イスラーム過激派の人々にとっては、二重に侮辱されたと感じられた。
このことがイスラーム過激派によってファン・ゴッホ氏が殺害される原因となったとみられている。
「オランダを知るための60章」
表現の自由を殺害という手段で奪ってしまうやり方は、オランダ人の考え方に大きな影響を与えることになる。
「イスラーム教は西欧の価値観とは大きく違っている。彼らと一緒に生活することはできない」と言っていたフォルタインの考えは、正しかったんじゃないか?
この事件でそう考えた人はオランダで多かったはず。
そしてイスラーム教徒への不安や怒りが、徐々にオランダ社会を包んでいく。
2002年と2004年の2つの殺害事件によって、オランダの社会は大きく変わった。
寛容と多様性の社会で、イスラーム教徒への敵意や憎悪が高まっていく。
反移民政策をかかげる極右政党が支持を集めるようになった。
この流れが今のオランダ社会に続く。
多くのオランダ人が、反イスラームを主張する極右政党の「自由党」を支持している。
2017年3月に行われるオランダの総選挙では、第一党に出る可能性が高いという。
寛容性と多様性を尊重する精神は今もオランダ社会で生き続けているけど、その内容は以前とは大きく変わっている。
イスラーム過激派が表現の自由を殺人という手段で封じてしまう。
そんなテロ行為は、2015年のフランスでもあった。
2年前のことだから、覚えている人も多いと思う。
この年の1月7日に発売されたシャルリー・エブドという雑誌に、イスラーム過激派を挑発するような風刺画が掲載されていた。
それは「フランスではいまだに襲撃が全くない Toujours pas d’attentats en France」という見出しの下に、ジハディスト戦士を(茶化すように、目線が左右バラバラになっているように)描き、ロシア製の自動小銃「AK-47」を肩にかけて立った状態で「待ってろ! 新年の挨拶なら1月末まで間に合うだろ Attendez! on a jusqu’ à la fin janvier pour présenter ses vœux.」と言っている風刺画であった。
(ウィキペディア)
「イスラーム教を侮辱した」と怒ったイスラーム過激派がシャルリー・エブドを襲撃する。
過激派がシャルリー・エブドの編集室に押し入った後、殺戮(さつりく)が始まった。
編集室に入ると、2人組は「アッラーフ・アクバル」(アラビア語で「神は偉大なり」の意)、「預言者(ムハンマド)の復讐だ」と叫びながら、編集会議のために集まっていた編集長で漫画家のシャルブ(ステファヌ・シャルボニエ)を始めとする同誌の幹部や3人の風刺漫画家などに向けておよそ5分間にわたり銃を乱射し、シャルリー・エブド幹部の警備にあたっていた警官1人と会議に参加していた招待客を含め10人が死亡した。
警察は「男2人は銃を乱射し、会議室にいた人たちを冷酷に殺害した。漫画家の護衛に当たっていた警官も応戦する間もなく殺害された」と語っている。
シャルリー・エブド襲撃事件の後、フランスでは「表現の自由を守ろう」という動きとイスラーム教に対する怒りが広がる。
朝日新聞の記事(2015年1月9日)。
仏銃撃事件で炎上か、イスラムめぐる欧州「文化戦争」
事件直後にはフランス国内で、社会の結束と言論の自由を訴える声が沸き上がった。
欧州大学院の政治学者で中東問題の専門家オリビエ・ロイ氏は、今回の事件で「フランス国内でイスラム嫌悪が一段と強まるのは必至だ」と語る。
実際、この襲撃事件の後に、フランスでは「反イスラーム」を思わせる事件が相次いだ。
「汚(けが)れているから」ということで、イスラーム教徒が嫌っている豚の頭が神聖なモスクの入り口に置かれたことがあった。
またイスラーム教徒への脅迫も続出し、イスラーム教徒が乗った車が銃撃されたり、モスクに手投げ弾が投げ込まれたりもしている。
オランダでもフランスでも信仰の自由は保障されているから、イスラーム教を信仰することはまったく問題ない。
でも、それと同じように表現の自由という価値観も大切にしている。
イスラーム教の考え方に問題はなくても、ヨーロッパの価値観を破壊するような行為があったらヨーロッパ人は激怒する。
オランダやフランスで表現の自由を奪うテロ行為が繰り返しおこると、「過激派と一般のイスラーム教徒は違う」という当たり前のこともなかなか通じなくなってしまう。
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