1923年の9月1日、関東の大地が大きく揺れた。
10万以上の死者を出した関東大震災から、今日でちょうど100年になる。
今後30年間に、マグニチュード7レベルの首都直下地震が起きる確率は約70%と言われているから、関東大震災はまだ終わりではない。
地震を英語では「earthquake」という。
アースとは大地のことで、この「クウェイク(quake)」という言葉は、14世紀に「恐怖による震え」を意味する「quake 」から派生したと、ネット辞典に説明がある。(earthquake)
慣れていない人や初めて体験する人にとっては、この恐怖はとんでもなく大きい。
今年の5月11日、早朝に千葉で震度5強、東京でも震度3~4を記録する地震が発生した。
この揺れを経験した巨人のブリンソン選手は、「スマホに起こされてめちゃくちゃビックリした。初めての地震でほんと怖かった」と話し、グリフィン投手も「好きになれそうにない」と不快そうに語った。
とてもアメリカ人らしい言い方だと思うけど、でも、人間は地震を好きにならなくていい。
一方、ネットの反応を見ると、やっぱり日本人は地震への心理的耐性が高かった。
・熟睡しててまったく感じなかった
・九州もほとんど地震ないから東京来たときに地震の多さに驚いたな
・地震よりも緊急地震速報のほうが怖い
・職場の居室で同僚十数人のスマホが一斉に鳴ったときはさすがに動揺した
・地震で日本ムリってなる外国人多いんだってな
ブリンソン選手とグリフィン投手は、驚いたり怖がったりしただけで済んだが、なかにはこれが理由で帰ってしまった外国人選手もいる。
Full-Count(2016.05.12)
楽天退団のゴームズ、米メディアに帰国の理由明かす 「地震も怖かった」
地震の揺れに恐怖を感じたことが、日本を離れた理由になったという。
関東大震災の後、東京が大きなダメージを受けた地震に、2011年の東日本大震災がある。
この時は、とんでもない揺れと巨大な津波、さらに原発事故まで発生したから、空港にはチケットを握りしめた外国人が洪水のように押し寄せた。
外国人の場合、何かあったらいつでも母国に帰ることができるが、日本人はそうじゃない。
どんなに嫌でも恐ろしくても、この島国で生活を続けるしかない。
当時、知り合いの韓国人女性がワーキングホリデーで日本に来て、東京にアルバイトをしながら生活していた。
彼女も当然、帰国するかどうかで悩みまくったが、せっかく日本での生活が落ち着いてきたところだったから、とりあえず状況を見守ることにする。
でも、家族や親戚からは毎日のように、「早く帰ってこい! 日本はキケンだ!」という電話やメールが届き、話をしているうちにだんだんと気持ちが傾いてきて、ついに帰国することを決めた。
それでソウル行きの片道チケットを買って、アパートを出ていくことにした。
帰国の日が決まり、その日が近づいてくると「ひょっとしたら、日本は大丈夫じゃないか?」と思うようになって、また心が動きだす。
いまここで日本を離れると、自分はとても貴重な機会を逃してしまうような気がしてきた。
両親の方も、放射能汚染は大したことないと分かり、日本の社会が落ち着き始めたから、帰国を強く要求しなくなった。
やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいい。
そう思った彼女は帰国の前日か当日、まさに土壇場で心変わりをした。
それから10年以上たったいまから振り返ると、やったうえでさらに後悔しなかったという最高の結果になったと彼女は考えている。
また同じアパートに住もうと不動産屋に行ったら、店長は彼女が日本に残ると知って感激し、手数料をとらなかった。
日本人の知り合いも同じ思いだ。
彼らは、あの地震は日本人でさえ最大級の恐怖を感じたから、外国人が帰国するのも当然と考えていた。だから、この韓国人が日本にとどまることにしたと知って、心から喜んだ。
その後の生活は順調で、とても楽しかったらしい。
外国人が激減したから、すごく良い条件のバイト先がすぐに見つかったし、同じ理由で、外国人との交流イベントでも大歓迎された。
彼女はモテモテになった。
日本人の知人や友人がたくさんできて、いろんなつながりもできたし、日本語のスキルも飛躍的に向上した。
その結果、現在は韓国にある日本企業で働いている。
あの巨大地震で、韓国人をはじめ多くの外国人は恐怖を感じて帰国した。
でも、自分はギリギリのところで日本に残ることを選んだおかげで、いろんなチャンスに恵まれたし、得もした。
あの時の日本滞在は、人生を決定づけるような重要な時間となった。
ほかの外国人よりも日本が好きで、みんなの逆を行ったことは本当に正解だったと、いま彼女は心から思っている。
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