【日本のお茶づけ】台湾人が好きな理由&茶づけの歴史

 

数年前、台湾人の友人から、彼氏を連れて日本へ旅行に行くから、京都を案内してほしいと頼まれた。
日台友好を願う元京都市民として、「だが断る!」と言う選択肢はなかったから、オファーを快諾。
そして当日、2人をド鉄板の清水寺へ連れて行った。
途中で、彼らは「阿古屋茶屋」でお昼ご飯を食べたいと言う。
それはいいけど、なぜその茶屋?

話を聞くと、そこはお茶づけが食べ放題の店で、20種類の漬け物を組み合わせて、いろいろな味のお茶づけを楽しむことができるから、台湾人旅行者の間で人気が高いらしい。
彼女は日本旅行へ行った友だちから、お土産でもらったインスタントのお茶づけを食べて、それがとても気に入った。
彼氏は食べたことがなかったから、京都は日本でもお茶づけで有名なところだと聞いたから、ぜひそこで食べてみたいと思った。
ネットで調べてみたら、「阿古屋茶屋」にはお茶づけのバイキングがあることが分かって、そこをリストに入れた。

そんな話を聞いていて疑問に思ったのだけど、台湾にはご飯とお茶があるのに、お茶づけはないのだろうか?
ちなみに、その台湾人カップルは、京都人に「ぶぶ漬け(お茶づけ)でもどうどす?」と言われることの意味を知らなかった。
だから、そういうときは、遠慮なくいただくようにとアドバイスをしておいた。
まぁいまどき、「Get out of here」の意味で、こう言う京都人がいるとは思えないが。

 

それからトキが流れて、いまから2か月ほど前、日本の会社で働く3人の台湾人とご飯を食べに行った。
彼らに日本で好きな食べ物について聞くと、1人はお茶づけを挙げる。
それで「阿古屋茶屋」のことを思い出して、お茶づけを好きな理由を聞くと、おいしいというのは当然として、台湾ではお茶づけを食べたことがなくて、新鮮だったからと言う。
台湾にはご飯もお茶もあるけど、それを組み合わせるアイディアがなかった。
だから、その台湾人にとってお茶づけはユニークで、とても日本らしい食べ物だと感じた。
それに、日本の漬け物もおいしい。
台湾では、肉を食べられないヴィーガンの人も多いから、お茶づけはそういう人にもポイントが高い。
日本と同じで、台湾の食文化でもお米とお茶は欠かせない。
でも、意外なことに、3人とも台湾でお茶づけを食べたことがなかった。

ということは、これは日本独自の食文化なのか?
興味が出てきたんで、お茶づけの歴史を調べてみた。

 

 

お茶づけは日本で生まれたもので、時代は江戸中期のころらしい。
ただし、そのルーツとなった米飯にお湯をかける「湯づけ」と、冷水をかけて食べる「水飯(すいはん)」は古代からあった。

それについて、有名なのが『今昔物語集』に出てくる三条中納言とかいうデブ貴族。
おいしいものばかり食べて、太りすぎて困ってしまった三条中納言は医者に相談し、肥満解消のアドバイスを受けた。
それは、冬には湯漬けを、夏には水漬け(水飯)を食べるというダイエット法だ。
「いいね!」と喜んだ三条中納言は、たくさんのおかずと大盛りの水飯をアホの子のようにバクバク食べて、結局ダイエットに失敗してしまったというオチ。

昔はご飯を保温する技術なんて無かったから、冷めてしまった米飯に、お湯や水をかけて食べることは、ご飯をおいしく食べる有効な方法だった。
だから、湯漬けや水飯を食べる習慣はその後も続く。

室町時代に銀閣寺を建てたことで有名な足利義政は、酒を飲んで酔うとよく湯漬けを食べていた。
これは昆布やシイタケから出汁(だし)を取った湯だから、ちょっとハイクラスな一品。
将軍が好んで食べていたことから、湯漬けを食べる習慣は世間に広まったという。
この時代、室町将軍は日本屈指のインフルエンサーだったから、それも当然かと。
戦国武将の織田信長と斎藤道三が初めて会った際、二人は湯漬けを食べながら話をしたという逸話も残っている。

湯づけや水飯から、茶づけに進化したのは江戸時代。
この時代の中期以降に、現在のような緑色でおいしいお茶の製法が完成し、庶民の間にお茶を飲む習慣が定着した。
そのころの奉公人たちはアリのように忙しく働いて、食事をとる時間も短かった。
まだ保温の技術もなかったため、彼らは冷えた米飯に漬け物をのせ、それにお茶をかけて素早く食べていた。
そして元禄時代(1688~1704)に「茶漬屋」が登場して、お茶づけは庶民に人気のファストフードとなる。
『歌舞妓年代記』に「こんなことは茶漬めしだ」という言葉があるように、お茶づけは完全に日本人の食生活に定着した。
戦後、1952(昭和27)年に、永谷園から初めてインスタントのお茶づけが販売された。
そして知人の台湾人のその改良版を食べて、お茶づけの魅力に目覚め、京都で食べ放題の店をチョイスすることにつながる。

 

なんで台湾では、お茶づけが生まれなかったのか?
知人にそれを聞いても、台湾人としては「なかった理由」なんて考えたことがないから、みんなそんなことは知らない。
それに近いお粥(かゆ)があったためかもしれないし、台湾の食文化では、お茶とご飯を一緒に食べる発想がなかったせいかもしれない、と彼らは想像する。
それに台湾では、米飯にお茶をかける行為には「マナー違反」のイメージがあるらしいから、その影響もあったのかも。
もともとは江戸時代の奉公人が急いで食べていたものだったから、上品さや優雅さを求められたら、お茶づけとしても困る。
これは今も昔も、日本の庶民のファストフードだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。