【テンプル騎士団】“最強”と言われた理由・あわれな最後

 

ちょうど一週間前は、欧米で不吉とされる「13日の金曜日」だった。
この迷信を気にするかどうかは人それぞれで、アメリカではこの日を意識して、飛行機に乗ることを避ける人もいるらしい。

「13日の金曜日」が縁起の日となった由来の一つに、1307年のこの日、フランスでテンプル騎士団が一斉に逮捕された事件がある。
日本の歴史には「騎士団」なんて存在はなかったが、現代のアニメやゲームの世界には、魔法騎士団、フリージア王国騎士団、黒の騎士団などなど山盛りいる。
個人的には、人々を守るためにゴブリンやオークと戦うイメージ。

今回はそんな空想の騎士団ではなく、実際にヨーロッパで最強と言われた騎士団について知っていこう。

 

テンプル騎士団の紋章
一頭の馬に二人の人間がいるのは、彼らは騎士であり、修道士でもあるという二面性を表している。

 

11世紀、キリスト教の聖地エルサレムはイスラム教徒の支配下にあった。
ローマ教皇はそこを取り戻すため、ヨーロッパ中のキリスト教徒に「異教徒と戦え!」と呼びかけたことから、十字軍が結成された。
キリスト教徒の軍団はエルサレムへ遠征し、戦いに勝利して聖地を取り戻すことに成功する。
(異世界の騎士団はドラゴンと戦うが、実在した騎士団の敵はイスラム教徒だった。)
すると、「オレたちの戦いは終わった…」とばかりに、ほとんどの人がヨーロッパへ帰ってしまい、聖地や巡礼者を守る兵士が足りなくなってしまった。

「これでは、またイスラム教徒に奪われてしまう!」(←的中)。
そう考えた少数の騎士たちがエルサレムに残り、神のために生活しながら聖地と巡礼者を守ることを誓い、1119年に騎士団を結成する。
彼らは、ソロモン王がエルサレム神殿を建てたとされる場所に拠点を築いたことから、「テンプル騎士団」の名称が生まれた。
このテンプルはお寺ではなくて、エルサレム神殿のこと。

ローマ教皇によって、テンプル騎士団が正式な騎士修道会と認められると、ヨーロッパの貴族や王たちが聖地を守る彼らを支援し、団に入会する人も増えていく。

 

テンプル騎士団のメンバーは、殉教の象徴である赤十字がデザインされた白衣を着ていた。
キリスト教を守るために戦って死ねば、天国へ行くことができると信じていた彼らにとって、この赤十字は名誉のしるしだ。
騎士団の戦士は、団の旗が降ろされない限り、決して降伏してはならないという鉄のオキテがあったため、すべての旗が降ろされるまで戦い続けた。
彼らは死を恐れず、高い戦意を持ち、ハードな軍事訓練を行い、厳格なルールを守ったことから、テンプル騎士団は十字軍の主力となり、中世のヨーロッパ世界で最も恐れられ、最強と言われる戦闘集団の一つとなった。

 

1291年のアッコン包囲戦
城壁上で白い十字に赤い服を着ているのが聖ヨハネ騎士団員で、その横にいる白い戦士がテンプル騎士団員。

 

ローマ教皇は、聖地を守るテンプル騎士団に特別な特権を授けた。
それによって彼らは、国境を自由に通過できることができ、税金を払う必要がなくなり、そして教皇だけに服従すればよいこととなる。
つまり、ヨーロッパの貴族や王は彼らに手を出せなくなったワケだ。
こうした特権を手に入れたテンプル騎士団は勢力を拡大していき、ぼう大な資産を持ち、一つの「国家」のような特殊な存在になっていく。

しかし、力を持ちすぎたことが裏目に出て、テンプル騎士団の最後は突然やってきた。
1307年の10月13日、フランス王フィリップ4世の命令により、国内にいた騎士団のメンバーが一斉に逮捕された。
彼らにとってはまさに暗黒の日。

フィリップ4世はテンプル騎士団に借金があり、それをチャラにするために騎士団を壊滅させ、資産の没収しようとしたという説がある。
彼らは拷問によって、男色行為や悪魔崇拝、反キリスト行為(十字架にツバを吐くなど)といったニセの罪を自白させられ、最期は処刑された。
1312年にテンプル騎士団は、フィリップに味方した教皇クレメンス5世によって解散を命じられ、その歴史を終えた。
フランス以外にいた団員は別の騎士団に移ったらしい。

ある団員が処刑される際、彼はこう叫んだと言う。

「神は誰が誤り、罪を犯したかを知っておられる。やがて、私たちを死に追いやった者たちに災いが訪れるだろう」

しかし、残念ながら、「悪い奴ほどよく眠る」という言葉どおり、仏国王と教皇はその後も何不自由なく暮らし、天寿をまっとうした。
…とはならず、クレメンスはわずか1ヵ月後に亡くなり、フィリップも同じ年、狩猟中に亡くなったという。

Clement died only a month later, and Philip died while hunting within the same year.

Knights Templar

 

このことが、「13日の金曜日」が不吉な日とされる背景にあったかも。
日本だったら、これを怨霊のしわざと考え、騎士団のメンバーを祀る神社が建てられる予感。
ちなみに、現代のカトリック教会はこの件は冤罪だったと認めていて、テンプル騎士団の名誉はすでに回復されている。

 

生きたまま焼かれる騎士団員

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。