梅雨に入るころに咲きはじめ、下から上に咲きのぼっていって、花がてっぺんに達するころには梅雨明けするということから、日本でタチアオイは梅雨を象徴する花になっている。
この花を英語にすると「神聖な花」になるというのが今回のテーマですよ。
タチアオイを英語にすると「ホーリーホック(Hollyhock)」になる。
浜松にはホーリーホックというアパートがあるし、東京には「写真スタジオ ホリーホック 東京ミッドタウン」という大きそうな写真スタジオがあるから、日本でこの英語はわりと知名度があるのでは。
徳川家の家紋がフタバアオイだから、徳川にゆかりのある静岡市はタチアオイを「市の花」にしている。
*もちろんフタバアオイとタチアオイは別。でもこまけぇこたぁいいんだよ!!
徳川御三家のひとつ、水戸藩の家紋が葵だったことにちなんで、サッカークラブ「水戸ホーリーホック」が誕生した。
画像はは公式ホームページから。
この「holly」とは「holy(神聖な)」を意味するという。
タチアオイは十字軍によって、キリスト教の聖地から西洋社会にもたらされたから「神聖の花(聖地の花)」とよばれた。
むかし梅雨の時期に、タチアオイを見たアメリカ人からそんな話を聞いて「へ~」と感心したのを、前回の記事を書いてるときに思い出した。
フランス、アメリカ、イタリアなど西ヨーロッパ諸国が11~13世紀にかけて、聖地エルサレムをイスラム教徒から“奪い返す”ために、計8回ほどキリスト教徒の軍隊が遠征し戦った。
というのはあくまで西側の見方。
イスラム側からしたらこれは侵略行為で、実際、十字軍は現地で好き放題の蛮行をすることもあった。
イスラム教徒支配下の都市を攻略しつつエルサレムを目指した。この過程で十字軍による掠奪、虐殺、強姦があったとされる。
では、知人のアメリカ人が言った説は正しいのか?
たしかに十字軍の遠征がきっかけになって、東方イスラム世界の文物がヨーロッパにもたらされたことは歴史の事実だ。
これによって古代ローマ・ギリシャの文化がヨーロッパに流入し再認識され、次の時代にルネサンス(文芸復興)を生み出す要因になったのだから。
「神聖な花」説がホントかどうか改めて調べてみたら、「探究せよ、真理こそ我らのしるべなり」を校訓とするアメリカの名門大学「アーカンソー大学」のサイトにこんな説明を発見。
The Crusaders brought the single flowered form back to England during the middle ages. The Anglo-Saxon name for mallow, a closely related species used medicinally throughout Europe, was “hoc”, thus hollyhock was the “holy hoc” from Jerusalem.
中世に十字軍がこの花をイギリスに持ち帰ったのが西洋での始まりで、ヨーロッパでははじめ薬用としてタチアオイが使われていたらしい。
アングロサクソンでの「mallow(アオイ科の植物)」の名前が「hoc」だったので、ホーリーホックとは聖地エルサレムからきた「holy hoc」だったという。
梅雨を象徴する日本とちがって、西洋社会のタチアオイには壮大で血なまぐさい歴史があるようだ。
ということは、水戸ホーリーホックは徳川家と十字軍を象徴しているのか。
反論できる?「日本人が、外国人の日本料理をインチキと言うな!」
> というのはあくまで西側の見方。
> イスラム側からしたらこれは侵略行為で、実際、十字軍は現地で好き放題の蛮行をすることもあった。
それどころじゃありません。
元々、十字軍は、東西に分裂していた古代ローマ帝国のうち、西ローマ帝国は滅びたけど、当時も続いていた「東ローマ帝国」が、西の「ローマ・カソリック教皇」に向けて援軍を依頼したことから始まった「傭兵軍団」です。しかし後には、その救援依頼元の東ローマ帝国や東方正教会さえも敵とみなして、十字軍はオリエント地域で暴れまわり暴虐の限りを尽くしました。
その過程で、イスラム世界に保存・伝承されていた古代ギリシャ・ローマの文明の成果を奪い去り、西ヨーロッパへ持ち帰ったのです。文学その他の著作は、古代からアラビア語を経由してラテン語に翻訳され、西欧諸国へ伝達され、それがルネサンス(文芸復興)の起こりになりました。
現代自然科学の源流は、そのおおもとを遡れば、全て十字軍(及び地中海貿易)とイタリア・ルネサンスにたどり着くのです。特に、数学、医学、生物学がそうです。