今の日本にとって、悩みの種になっているのが韓国の慰安婦像。
もう一つ悩みの種になっているのは、この像の呼び方。
この像の呼び方は新聞社によって違う。
産経新聞の記事(2017年2月4日)によると、この像の呼称はこんな感じ。
朝日新聞は「慰安婦問題を象徴する少女像」
読売新聞は「慰安婦を象徴する少女像」
日経新聞は「従軍慰安婦問題を象徴する少女像」
産経新聞以外は「少女像」という呼称をしている。
でもこれだと、勘違いしてしまう日本人が出てくるかもしれない。
前に書いたアメリカ人みたいに、「日本軍は少女を慰安婦にしていたんだ!」と誤解する日本人が出てくるんじゃないか?と不安になる。
「この像を何と呼ぶべきか?」ということについては、前から議論があった。
少女像か?慰安婦像か?
もうシェイクスピアのハムレット状態。
「生きるべきか?死ぬべきか?」みたいな。
そんなわけで、「まずは日本政府でのあの像の呼び方を統一すべきだ」ということが話し合われていた。
zakzakの記事(2017.01.30)から。
「慰安婦の少女像」呼称に批判、誤解招かないものに統一を 外務省が見直し検討
会議では、政府が像について「慰安婦の少女像」との呼称を用いていることに批判が集まったほか、さらなる対抗措置を講じるよう求める声も上がった。出席した外務省幹部は呼称見直しを検討する考えを示した。
出席議員からは「少女像と呼べば、実際に少女が慰安婦をやっていたと思われる」(青山繁晴参院議員)、「政府が『少女像』と呼ぶからNHKなどマスコミもその表記を使う」(佐藤正久参院議員)などと批判が噴出。政府が使う呼称を「慰安婦像」など誤解を招かないものに統一するよう求めた。
慰安婦はいた。
でも、こんな「少女」はいなかった。
ボクがこの慰安婦問題について書くとき、なるべく自分の感情は殺すようにしている。
大切なことは事実だから。
「なんてかわいそうなんだ」「ひどい!」なんて感情的になったら、この問題を客観的把握できなくなってしまう。
大学生の時に、こんな女の子に会ったことがある。
「あのハルモニ(慰安婦だったおばあさん)の涙を見て私も泣いてしまった。だから、あの人の言葉を否定できない」
とても心の優しい子だと思う。
でもここまで感情移入してしまうと、事実と接したとしても事実を認められなくなるだろう。
客観的な事実より、おばあさんの涙を信じてしまうようになると思う。
「何があったのか?」「何が正しいのか?」という事実よりもおばあさんの言葉や涙を信じるのなら、この問題を把握することも解決することもできなくなる。
だからそうならないように、自分の感情をできるだけ切り離して事実から記事を書くようにしている。
だからこのブログでも、感情移入しないように少女像ではなくて「慰安婦像」と書くようにしている。
繰り返しになってすまぬ。
さっきこんなことを書いた。
韓国人がつくった少女像を見たり、日本のマスコミが少女像と呼んだりすることで、「日本軍がこんな少女を慰安婦にした」と勘違いしてしまう日本人が出てくるんじゃないか?
じつはいたんですよ。そういう日本人が。
慰安婦を「少女」だと誤解したまま、新聞に自分の意見を投稿している。
では朝日新聞に載っていた読者の声(2017年01月14日)を、できるだけ自分の感情を切り離して読んでみよう。
旧日本軍の慰安婦を象徴する「像」の写真を新聞で見て、ハッと気付いた。韓国・釜山の日本の総領事館前に、市民団体などが設けた像。彼女は少女だったのだ!
柔らかい身と心の少女。
この「彼女は少女だったのだ」の「彼女」とは誰か?
韓国の釜山にある慰安婦像であれば、確かに少女。
でも、実際の慰安婦であれば少女ではない。
中学生のような少女が慰安婦にされた事実は確認されていないから。
前に書いたけど、BuzzNewsにそのことが書いてある。
呼称問題が取り沙汰されているのは上記で記者が言及している通り像の呼称を「少女像」とすることによって戦時中の残虐性を強調する狙いがあるとされているためで、これを伝えた産経ニュースの記事によれば「日本政府の調査などでは、『少女』と呼ばれる年代の女性が慰安婦になったことは裏付けられていない」とされています。
ここでちょっと思い出してください。
なんで韓国側は慰安婦像を、「慰安婦」ではなくて「少女の形」にしたのか?
少女の姿にすることで、旧日本軍の残虐性を強調するねらいがあった。
それをふまえたうえで次を読んでください。
自分も一員になった日本軍と日本人の、朝鮮人に対する無慈悲な扱い、差別を知りぬいている。
「旧日本軍の残虐性を強調する」という、韓国側の意図を想起させる文だ。
韓国側としては、これで「ねらい通り」なんだろうか?
さっきも書いたけど、感情は抜いて客観的に読んでいこう。
その中に投じられた少女たちの悲鳴が、私に聞こえないはずがない。私は涙を流す。
この人は誤解している。
慰安婦に少女はいない。
あの像が少女の姿につくられただけ。
でも、「慰安婦が少女だった」と思い込んでしまっても仕方がないと思う。
あの少女像を見て、日本のマスコミが少女像と書いたり呼んだりしていたら、そう勘違いしてしまってもおかしくはない。
見方を変えたら、この人は少女像に「騙されてしまった」ことになる。
この投稿をした人は、とても純粋で心の優しい人だと思う。
でも残念ながら、誤解にもとづいて涙を流して話を進めている。
「ああ、違うんです~」と言いたくなるような、もどかしさを感じてしまう。
でも、最後のところで「あれ?」となる。
私たちを死なせ、素知らぬふりをした権力者。
今、安倍政権の権力者らは「少女像」に反感むき出しだ。女性に逆に謝らねばならぬのに。こんな日本人でいいのか。
結局最後は、安倍政権への批判で終わっている。
「ちょっと待ってくださいね」って感じがする。
今の安倍政権にいる人たちが、「少女像に反感むき出しだ」というのは聞いたことがない。
日本政府が少女像に反感を持っているというのは、具体的になんのことだろう?
日本と韓国で合意して、日本は約束を守ったけど韓国は今でも守っていない。
それどころか、日韓合意の精神に反した。
釜山の日本領事館の前に、慰安婦を建てることを許している。
もし、「安倍政権の権力者ら」が反感を持っているとしたら、韓国政府に対してだろう。
少女像ではない。
政府は「少女像を日本大使館の前から撤去してくれ」と要請していただけ。
少女像そのものが問題ではなくて、「場所」を問題としていた。
日本大使館の前にあるとウィーン条約に抵触するから、「別の場所に動かしてください」と言っていたはず。
少女像を問題視して、日本政府が「韓国から少女像をなくせ」なんて言ってはいない。
結局この文章の最大の目的は、安倍政権を批判することだったのだろうか?
いずれにしても、すべての始まりは「誤解」だった。
少女像を見たり少女像というマスコミ報道に接したりすることで、「慰安婦は少女だった」と間違ってしまったのだろう。
勘違いから始まり、「少女」に感情移入して涙を流す。
その思いを新聞に投稿したら採用されてしまう。
結果、この「声」に共感した多くの日本人がツイッターやブログで拡散させていた。
特に「こんな日本人でいいのか」という言葉が多くの人たちの心をとらえたようで、これを拡散していた人たちはこの言葉を引用していた。
すべては誤解から始まっているのに。
こんな日本の社会でいいのだろうか。
こんな誤解を生まないように、「少女像」はやめた方がいい。
事実にもとづいて、慰安婦像と呼ぶべきだと思う。
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