小学校や中学校で、よくこんなことがあったと思う。
A君がB君をたたく。
たたかれたA君は、担任の先生にこう言う。
「先生、B君がボクをたたいた」
するとB君はこう言う。
「違うよ、先生。ボクの手がA君に当たっただけだよ」
担任としては、「んなもん知るか。オレはその現場を見てないんだから。2人で話し合って解決しろよ」なんてことを言うこともできないから、真面目に対応することになる。
保護者からの電話もコワいし。
A君は、「B君にこんなにひどいことをされた!」ということを強調したいから「たたかれた」という言葉を使う。
B君は「自分は悪くない」ということを強調したいから「当たった」という表現をする。
どっちも同じ出来事をいっている。
けれど、それを伝える人が「何を強調したいのか?」によって言葉は変わってくる。
こんなことは大人の社会でもよくある。
誰だって自分が加害者や責任を負う立場にはなりたくない。
できるだけ被害者でいたい。
単純に「損得」を考えたら、被害者でいる方が得することが多いから。
この考え方は大人も子ども変わらない。
ところで最近、日本で「意識高い系」という言葉をよく耳にする。
自分を高めようとする意識高い系はいいし、スタバでドヤ顔でマックを開くのも個人の自由。
でも、被害意識が高い人にはちょっと困る。
2010年に韓国旅行をした時のこと。
常宿の大元旅館に行くために空港からバスに乗って、最寄りのバス停で降りたときに目にしたのが上の「韓日強制併合」の文字。
1910年の「日韓併合(韓国併合)」は韓国では「韓日強制併合」と呼ばれているのだ。
「宿で荷物を降ろしたら、早く焼肉でも食べに行きたいなあ」とバスに乗っていたときに思っていたから、突然こんな言葉と出くわして、不意を突かれてチョット驚く。
被害者であることを強調するために、「強制」の一言を加える感覚は基本的にA君と同じで、この「韓日強制併合」はバス停で見かけるぐらい韓国では一般的になっている
日韓は別の国で価値観も見方も違って、それぞれの「正しい」があるから、このへんは仕方ない。
いけないのは、自分たちの呼び方を相手に押し付けること。
「オレたちと同じ呼び方で呼べ!」とすると、それは相手の価値観や立場を無視することになり、本当の強制になってしまう。
韓国の新聞を読んでいると、被害者意識の高さに戸惑うことが何度もある。
たとえば2016年に大阪で起きた「わさびテロ事件」だ。
大阪の寿司屋で出された寿司のわさびが多いと感じた韓国の旅行者が、それを韓国版NAVERの旅行掲示板に、「わさびテロに遭った」と報告したことがきっかけで大きな問題になる。
店側は、以前から外国人観光客にわさびの増量を求められることが多かったから、すべての外国人観光客にわさびを2倍ほど増やしていたという。
客に確認しないでしたのはマズかったかもしれないが、これを「テロ行為」と非難するのは行き過ぎ。
寿司職人はテロリストか?
この「わさびテロ」は韓国の全国紙・中央日報も報じるような大騒動に発展する。(2016年10月06日)
情報提供者のAさんは「最近、韓国人客を対象にした『わさびテロ』事件に接して遅まきながら情報提供することになった」と話した。
これも「先生、B君がたたいた」と言ったA君と同じ発想だろう。
「韓国人が受けた被害を強調したい」という意図がまず先にあって、それに都合の良い表現として「テロ」という言葉を使う。
わさび増量の寿司で、全国紙が「テロ」という言葉を使ってはいけない。
このへんの「被害者意識高い系」の感覚にはちょっとついてけない。
「あれはテロだ!」「人種差別だ!」と問題になったこの騒動もいまでは、寿司屋が韓国人を”ねらった”嫌がらせではなく、外国人のリクエストを受けてしていたサービスだったということで落ち着いている。
わさびの量を多くすればそれだけ店は赤字になるのだから、この見方が妥当だろう。
「本当のテロ」が起きるイスラエル
バナナの向うに、防弾チョッキを着て銃を持ったイスラエル軍の兵士の姿が見える。
では、この「わさびテロ事件」を外国人ならどう思うのか?
友人のイギリス人とアメリカ人に聞いてみたんで、それは次回紹介しよう。
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